6月5日(水)
独り身に姫緋扇の梅雨の朝
一昨日、野草クラブに投稿した句です、ヒメヒオウギ、、とは文学的な命名ですね、、この野草気をつけてみると結構あちこちで見かけます…ヒメヒオウギズイセン?そういえば小さな水仙に見える。
午後から本を読んでいて疲れたので3時ごろ空を見上げると気持ちの良い梅雨の晴れ間。
おにぎり形の雲や背を丸めたエビみたいな雲🦐が空に浮かんでいた。
シャツ干して梅雨の晴れ間の深呼吸
本を読んでいて3時ごろになると酒のつまみの心配をする。
最近やっと酒の味がわかるようになったと思う。
若い時といっても30歳位の頃いっぱしの酒飲みのつもりでいましたが、本当のところ酔っ払うために飲んでいたようなところもありました。
アル中、一歩手前っだったと思います、、飲むと視界がクリアになったような錯覚もありました。
そんな錯覚もありましたが違う意味で現実には覚めていました。社会の嘘くさい現実。
子供じみている大人たち。ちゃんとしてない大人たちがそれなりに務まる組織。組織ってなんぞや。
最初の会社を辞める時尊敬していた他の部署の先輩が僕のことを心配して一言…世間では評判の今をときめく〇〇会社だけど、、社員を使い捨てにしてるらしいよ…
(その意味するところは僕なりに理解できました。ありがたかったです。
フレッシュな社員の能力のいいとこ取り…吸収してしまったら…はいそれまでよ、、使い捨て。
コンピュータ技術者だった僕の友人も同じようなことを言っていた…ぼくらはせいぜい40歳位までの賞味期限…とか。
日の出の勢いの他社のその現実をなんとしても伝えたかったSさんは影になり日向になり僕を弁護してくれていたことが最近?!わかってきた。
僕はそれほど能力のある人間ではなかったのに…ちょっとみにはわからないが、その人には多分僕が孤立しているように見えた、、ありがたくも買いかぶってくださっていた。
僕のことが危なっかしく見えてしょうがなかったんだと今にして思いあたる、、反応遅すぎ)
君がやめていくこの会社が他の会社も同じ(家庭的)であるとは思わない方が良いという遠回しな言い方だったのだと思います
組織は腐る。儲かっていればなおのこと。中にはアルバイトに精を出す社員もいる。そんな会社にいたことがある。
(会社を渡り歩いたおかげで色々なことに出会えた…人と組織。
太く短く人生を渡る人も見てきた。僕にはとてもそんな度胸も能力もない。したくもない。僕には向いてない。
そのかわりはいずり回って何とか食べていくこと、…何をやっても食ってみせる、、位の事は思っていましたね、若気の至り)
組織のトップも社員も会社の行く末の事なんか、上から下まで何も考えていない、僕にはそう見えた。
だめ組織とダメ社員、いい勝負、、と言いたいところだけど現実はやっぱり組織の勝ち。ちっぽけな個人。
どんだけちっぽけなのかこれから勉強していきます。
(昨日メルカリに60センチ近いアグリッパ頭部、売りに出されたので間髪を入れず、すぐに買いました。先方も即時発送いたしますと言ってきました。先手必勝。
メルカリがすぐに反応してきた…他の出品者が同じ石膏像が明らかにそれを意識しての値下げとわかるアクション、最終値下げとか、、なるほどなるほど…メルカリってこうやって楽しむのね、、メルカリ組織が流行った理由も分かりました)
目が覚めて寝ながら綴るつゆの夢
ヒオウギは私の日本の家にもたくさんあります。植えた覚えはないですが、花のあと黒い実がなってそれが飛ぶので増えやすいようです。それにしてもお宅のはずいぶん小さいようですね。だからヒメと付くのかしら、日本語ではヒメは「小さい」という意味があって、ヒメシャラ(シャラ、つまり夏椿の小さいの)とかヒメリンゴとか。この国では昔から大きい女は品がないとされていたみたいで、私、生まれる時代を間違えたみたい。
こちらでは、大事に育てられた美しいバラではなく、野に咲く種類や浜茄子(匂いが強く色も鮮やかだけど、棘だらけで繁殖力があるので珍重されない)などは「イヌバラ」とか「ジャガイモバラ」とか呼ばれます。高速道路脇に一杯咲いていて、犬もじゃが芋も「ありふれた」とか「庶民的な」を意味する形容詞代のようです。サツマイモはこちらには(滅多に)ないので、イモといえばジャガイモ。
その野ばらの季節もほぼ終わりました。先日作った句。
・渋滞でしばし眺むる野薔薇かな
「わらべは見たり野中の薔薇」でなくて、ババアは見たり道端のバラ。
私は職人ではなかったけど(翻訳の仕事はちょっと職人の要素がある)、基本自由業でしたので、自由にあちこち渡り歩いていろんな業界の人と会えた点は同じ。世の中捨てる神あれば拾う神あり、で、自分で営業もし、実際に働き、請求書を送って・・・という生活でした。それでも1人で食べていけたのは、運としかいいようがありません。
ちょっと長くなるけど、いい?
昨日、ひょんなことで夏樹静子という推理小説作家のエッセイを読んだのですが、この人さる大会社の重役の奥さんで何一つ不自由ないのに学生の頃に始めた小説書きを止められなくて、最初猛反対した旧弊な九州男子の夫も妻の作家活動をなし崩し的に認めざるを得なかったそう。それで小説の題材を集めるためや調査のために随分旅行もしたようです。そんな旅について綴った「年老いた町並」という題のエッセイは、彼女が気に入った山口市での感懐について。
「私は、ふと、この町で、例えば市役所や郵便局に勤め、十年一日のように静かに平凡に日々を送り、この先も送っていくにちがいない小柄な中年男を思い描く。その妻の生活も、また、ゆっくりとのどかに過ぎるだろう。次には私自身が、恰もそんな中年女であるかのような、実にリアルな錯覚を抱いたのだ。そして、文字通り十年一日の如く、静かに安んじて生きて死ぬことが、人間の一番自然でのぞましい、それゆえにもっとも幸せな人生ではないかと、心から思った。」
この1938年生まれの作家(77歳で亡くなっている)は、当時としては破格に近代的で恵まれたお育ちなんですが、だからこそこんな風に感じたのでしょうか。静かに安んじて死ぬことが「もっとも幸せな人生」というのは、私の母の時代には特にそうでした。そういう人生を娘に望んだ親たち、その望みを叶えてやれなかった娘。
夏樹静子が結婚してすぐに住んだ団地とか、一戸建てへの引っ越しとか、二人の子供の誕生・養育とか・・・70年代から80年代にかけて、私が望んでも手に入れられなかったものばかり。ああ、自分は社会の端っこ・縁っこ・隅っこで生きていたんだなあ、と今さらのように思い、marginalized(社会の主流から取り残された)という言葉が頭に浮かびました。ふと気が付けば、今もなお主流から遠くかけ離れたところで暮らしています。