6月4日(火)
夭折した天才、、モーツアルト、中原中也、立原道造、ランボー
、、昔のことだから50歳では夭折とは言わない。
人生50年では、概して早熟の人が多かったのではないか。慌てて人生を学ばなければいけない理由はそれだ。
人生100年時代になった今も、夏目漱石じゃないけど…高等遊民?は多い方がいいと思う。
この場合特に高等、でなくてもいい。
社会に余裕がないのはろくなことがない。
一例をあげれば…僕の場合…ある意味社会に余裕があったので遊ばせてもらえた。
22歳で最初の仕事を辞めた時、、2ヶ月ぐらいぶらぶらしてたらすぐに飽きちゃって…何をしたかと言うと働きだした。
まさかこんな結果になるとは思わなかった。なぜこんなことになったかというと、、とりあえず場面を変えるために会社をやめることが先決で…仕事を辞めてみたものの…次にやることが決まらない、、やりたいことがなかったからだ。
すぐに思い直し…やってないことに着手した。そうだ町工場の工員になろう。家のすぐ近くの町工場へ入社。簡単なプレスの金型作りから自動車メーカーから治具の試作品作りまで、、毎日、目からウロコのOJT、、僕がフライス盤で0.05ミリの削りしろを残して削り出した雄型、雌型の型を熟練の職人がヤスリで丁寧に仕上げていく。
旧式の、というかかなり使い込んだフライス盤の送り機構の遊びの具合を確認した上で寸法ぴったり、つまり仕上げ職人の削りしろ0.05ミリを残し全ての型を機械の操作もおぼつかない新入りのぼくが仕上げたものですからびっくりしたのは金型職人の方です。
もちろん誰でも慎重にやればできる仕事ですが当時の神経質な僕にはその仕事があっていたのだと思います。
それを同じ職人が手で運べる位の架台にコークスを入れ、均し(ならし)て真っ赤に燃焼させ、型を慎重にその上で赤め、頃合いを見て油焼入れする。ドボンと入れるわけではありません…百聞は一見にしかず。
テキストの中でしか知らなかった色々な事柄を実地に体験して3ヶ月で退社…社長さんごめんなさい🙏
本社からその小さい町工場を視察に来ると言うのでベテランの職人さんがやったこと…工場の中で焚き火をするのです!つまり匂い消し効果抜群。
その後リフォーム業に携わったときなんともいえない部屋の匂いを取るのに同じ方法を使わせて貰いました、、危ないので真似しないでください。
それからの数年間、新しいことに挑戦する時は自分なりに追い込んで勉強して入社先に無茶苦茶な条件を出してあちらこちらに雇い続けてもらってあっという間に10年が経ちました、、時代は売り手市場、、二度とそんなわがままが通る同じ時代はない。
時代に甘えて…そんな無理押ししか思い浮かばなかったということだと思います。それが許された時代?
許されてはいなかったけれど、僕がわがままで、ごり押しした時代。
そういうわけですので僕が若い人たちに意見ができないのもその理由です…行き当たりばったりで生きてきました。職業に対する使命感なんて言葉も知りませんでした。
もちろん、知っていたところでそんなもの僕は持ち合わせていませんでした。
それでもその時の社会に甘えて身に付けた経験で60歳以上まで世の中を渡ってこられた、、という話は前にさしてもらいました。
その頃思い立ったらすぐやることを実行していまして、、今もその癖が抜けなくていいのか悪いのか分かりませんが…
昨日プールの帰り、突然、あきらめかけてた案を復活する気になって、帰宅途中に方向転換、葛飾区役所に寄って、石膏デッサンを共に学ぼう(キャッチフレーズは12文字以内の制限あり)とメンバー募集を広報課に依頼してきました。
メンバーが集まったらその時点でメンバーが希望する石膏像を手当てすればいい。結局基礎から学ぶのが一番早いと僕は思っています。いつでもここに戻ってくればいいと思っています。
光と影の力を借りてフォルムの動きをきちんととらえることが第一歩で、最終目標ではないかなと個人的には思っています、、偉そう。
石膏デッサンをしながら試行錯誤することで人物を描く時も静物を描く時も風景を描く時も全てに応用が効く、、人物画は風景画と同じ…もちろん僕はそんな器じゃないのに、、そんな持論を持っていましたが…昨日熊谷守一がKBCのグループLINEで話題になっていて、、熊谷守一が同じような意味のことを違う言葉で語っているのを発見しました、、あー絵描きはみんなそんなふうに考えているんだなぁと我が意を得たりの心持ち。
、、ここ10年位いろいろな会を立ち上げるお手伝いをしてきましたが、、やり方は当初から同じ。集まったメンバーで相談しながら運営して行く。
意外とありそうでなさそうなやり方だと最近気が付きました。どの会でも集まってからその説明をするとぎょっとされます。
先生はいないんですね?その時点で抜けていくメンバーもたくさんいます。教えられることに慣れすぎていると僕は思っています。
受け身体質が悪いと言っているわけでは無いのですが新しいグループが立ち上がっていく時、勢いをつけてくれるのはやはりグループの扱いに慣れている仕切り屋さん。
誰もいなければ結局僕がやることになるのですがうまくいったりいかなかったり。そもそも集まったメンツを見てその辺の役割を取るか取らないか瞬間的に皆さん感じ取ってしまう。
うまくいくかいかないかは時の運。
さて2ヶ月後募集広告でどんな結果が出るのやら…集まってから集まったメンバーで決めれば良い、、こんな簡単なことを始める人が少ないことにも、もう慣れました…一銭もお金がかからない楽しい遊びなのになぁ。
世の中にもっと遊び人が増えてほしいと本気で思っています。
(昨日の産業廃棄物の雑誌をパラパラ見ていたら面白い記事を発見しました。
水銀の処理についてです。水銀はご存知のように常温で液体状態です。体温計や温度計に使われてきましたが有毒なので今は代替えの材料で置き換わっています。
その記事が横道にそれて、、奈良の大仏の金メッキの話になり…そもそもメッキは滅金(めつきん)から来ているのではないかと推論し…日本語なのだから「めっき」が正しい表記ではないか、、と進め、、大仏の金メッキの話に戻ります。
大仏の金メッキはまず金を水銀でアマルガムにして、仏像に塗り…その後松明で水銀を蒸発させ…大仏に金を残す、、なんて解説があり…またまた脱線して…京都のお水取り行事はその名残ではないかと大胆な仮説、、脱線は面白いですね🤣
水銀中毒で亡くなった職人も多かったのではないかと忘れずに付言していました。
今日のおまけでした、、また寝ます🥱)
水銀がどうも危険な物質らしいと知ったのはシェイクスピアのハムレットを読んだときで、ハムレットの父親はその弟に殺されるのですが、そのために使ったのが水銀。昼寝をしている兄の耳に弟が水銀を流し込んで…とあったように記憶しています。水銀を耳に入れられると死ぬって本当かな、と思ったけど今に至るまで確認していません。
そのあと日本の環境問題について海外研修生に説明するのを通訳していた時、水俣におけるチッソの対応に関して水銀の恐ろしさは一般に理解されていなかったというようなことを先生が話し、ついでに、かつては梅毒治療に水銀が有効とされていたこともその毒性への認知を遅らせたようだとも言っていたような。(何しろ50年ほども昔のことだから記憶がおぼろ。)
あるときこちらの義姉の家でイタリアのボルジア家のTVドラマを見ていたら、チェーザレらしき人物が桶のような容器に入ってその蓋から首だけ出してじっとしている。義姉と夫が「何だい、これは」というので私が「梅毒の治療をしているんじゃないの」と言ったら、当たりでした。医師でもある義姉は「なんでこんなチビのアジア女が私の知らないことを知っているのよ」と思ったらしく、複雑な表情でしたっけ。種明かしは敢えてしませんでした。
そうそう、先日アルザスで買い物をしていたとき馴染みのマダムがいつからアルザスにいるの、と訊くので、「水曜日」とフランス語で言おうとしてちょっと考えて、水曜日は水銀と関係があり、水銀はマーキュリー(Mercurie)だから、フランス語ではMercredi、と何ともまどろっこしいプロセスで思い出しました。義姉はフランス語に堪能だから、その場にいたら「よかった、この女やっぱりアホだった」と安心したことでしょう。
というわけで、水銀だけで今日のコメントは終わりです。