6月2日(日)
我が陋屋の路地を出たところの細い電柱が取り払われて、すっきりとしました。
路地の地面には表面に苔がしっかり生えています。奥の陋屋へのちょっとしたアプローチ、怪しげな雰囲気をかもしています。
路地の1番奥に、花の直径10ミリにも満たないそのくせ黄色い花びらを10枚ばかり放射状にくっつけた小さな野草が目につきまして…
梅雨の間にしめやかに咲け路地の草
小さいので目立つという事はありますね。
小さいので全体を把握しやすい安心感と言うのもあるかもしれない。
今住んでいる家に愛着が湧いてきた。目障りなものに目をつぶり気に入ったものを少しずつ身の回りに置いておく。
あれば便利だけれどなくても、今あるもので代用してどうにかなるものは処分する。
残ったものでやりくりしていく。
この感じがとても快い。
ところで「問題」を作っていく時も同じことをやっているような気がしてきた。
問題を残すためにそれほど問題ではないものをどんどん省いていく。
何が問題なのかを探っていく時、たいていは問題のありかの最後に残るのは人間そのものだ。
人間が問題を作り出しているのだからそれは当たり前と言えば当たり前なのですが、、
手がかりを自分の中に求めようとすると自分のことがよくわかっていないので…混乱する前に、、
ついついその手がかりを本や雑誌に求めてしまう。本は問題を見つけた人のレポートのような気がしているのだと思う。
そう考えると僕の行動も少し納得できる…あはは🤣
(昨日とりとめなく雑誌などをパラパラめくったりいつものコースを散歩して気がつけば夕方。
いそいそといつもの晩酌をやりいつものようにすぐ寝てしまう…夜中に目が覚めたものの…また寝込んでしまって気がつけば朝。
昨日の日記を書こうと思って、さてネタがない。
ネタがないこと自体が面白い。ウロウロしながら何か考えているのだと思う、、やはり自分自身が一番よくつかめていない)。
「小さいので目立つという事はありますね。」
これで思い出したのですが、20年近く前に日本で友人に紹介してもらったわりと有名な美容院に行ったことがあります。その時、美容師さんが随分大胆な髪形にしたので、私が厭がると、「小柄で(それなりに)バランスが取れている人は思い切って冒険した方がいいんです、大柄だと目立つのでやりにくいのですが。小さくて無難というのも面白くないでしょ。」いや、私は無難でいたかったんですけど・・・
この小さい花たちも同じ気持ちだと思います。輪郭がはっきりしていて、誰の眼にも花と分かる。それだけで十分。