6月1日(土)
立石図書館、ホームセンター、お花茶屋図書館をてくてく歩きながらぐるっと回ってきました。
お花茶屋図書館の雑誌のコーナーが充実しているのにびっくり。雑誌の数は立石図書館の倍ぐらいありました。
推薦本(推し本)の展示も本の表紙を一覧できるようになっていて普通の街の本屋さんにいる気分…整然と入り組んでいる感じが気に入りました。
早速お目当てのユリイカの6月号を手に取りました。開架式の図書棚のすぐ横に椅子が外に向かって並べられていましたのでそこに座って早速読み始める。
かつしかけいたさんが2 、3日前にKBCグループLINEに通知してくれたユリイカの特集記事。
かつしかけいたさんと、小説家の方との散歩に関する対談。パラパラ見ていましたが話の内容がとても充実しているので、もう一度ゆっくり読みたいと思い、その場でアマゾンに同じものを発注しました。
対談の中で紹介されていた散歩のお供にもってこいの植物図鑑もついでに発注しました。
とても良い刺激になりました。これからも散歩は僕の大切な日課にしたいです。
その後、雑誌Voiceの最新号や他の雑誌をパラパラ見ているだけであっという間に時間が経ちました。
あっという間に時間が経った訳は… AIを論争の相手方に設定し論争体験とそれにより問題解決の糸口をつかませるというある雑誌の記事でした、、これは本当に有効だなと思いました。
そこが学校であろうと企業であろうと、たとえ、そういう模擬論争の結果導き出された結論が滑稽なものであったとしても、とても良いワークアウト/身体トレーニングになる。
(非認知能力なる言葉を今頃になって知りました↓
※非認知能力とは、知能検査や学力検査では測定できない能力を意味しています。 具体的には、やる気、忍耐力、協調性、自制心など、人の心や社会性に関係する力です、、だそうです)
僕は雑誌をパタンと閉じてしばし考えていました。
がんばってそのように問題を作っていく、そして解決するトレーニングの際、、導入部としてAIを併用しながら…問題の作成/問題を立てる訓練にすぐに移行するべきだと思いました。もともと学校とはそういうところで、、
AI相手にやさしい問題をこなすところから徐々にトレーニングを積み、つまりこの辺は人間だと教える方が飲み込みの悪い生徒にイライラしたりまどろっこしくなる画面だと僕は考えます。
AIだったらそういう事は全く問題にしないのでそれを発展させてチームを組んで問題解決に当たる…
この繰り返しで例えば小学上級生の1年間あるいは中学校の1年間、、トレーニングをしたら…かなりそれぞれの人が自分自身と対話することにもなる。
飲み込みの悪い僕だったらこうしてもらいたいと思います。
先生のイライラした顔を見るのは嫌ですから…。AIだったら心ゆくまで付き合ってくれる、、。僕みたいな物分かりの悪い生徒向き。
小学生の頃から先生方は難しいところ、めんどくさいところつまりこっちが聞きたい所は端折って話すなぁと感じていた僕です。
友人たちが何の苦労もなくすっとわかったような顔をしていたので僕は自分は頭が悪いなぁと思ったことでした。
本当のところ、導入部にしっかり時間をかければこれが効果があるとみんなも知っていたのではないかなぁ。
誰だって直感的にそういうゆとりのある教育が望ましいに決まっていると、、思い浮かぶもの…違いますか?
詰め込み教育で教えるべきボリュームが決まっていたのではこういう発想はなかなか出てこない。すぐに成果が見えて、点数で評価できるシステムに頼るのはそれなりの理由がある。人手不足。
人手不足を補うAIの本格的な介入によってやっと本来の教育のスタイルを見直すチャンスがやってきたんだなあと、、どんだけぼくは社会の進歩のスピードについていってない、教育現場も知らない、、ということも実感しました。
涙が出そうになりました。世の中は確かに良い方向に変わっていくなぁという予感です。
雨もよいの日だったので汗はかきませんでしたがお腹はしっかり空いていたので2時半ごろ家に戻り海鮮丼を買ってきて食べました。
(食事後は…読み通すのがちょっと辛い本2冊を強引に飛ばし読みで読み始めました。
北朝鮮の脱北者によるレポートとナチが計画し実行した純血民族増殖場(かつてのベストセラー)の和訳本です。既に絶版なのに簡単にアマゾンで入手できました!
ちょっと元気が出た時じゃないと読む気がしないので、ほったらかしになってた本です。
読みながら、人間はここまでやるのだなぁと、気が重い。
どちらの本も特に誇張は感じられませんでした。同じ立場に立ったとき僕だったらどう行動するか…ここで思考ストップです。
過去や現在進行形の事実を知る、状況をシミュレーションしてみる、、これは大事なことだと思いました。
人ごとではない、、人間は状況によっては自分もはまり込んでしまうこともあると想像するだけでも、当事者意識のきっかけを得られる。
自分を取り巻く環境の変化で、心境はどのようにでも変わる人間の悪い意味の可塑性に愕然とします、、
親から子へ伝えるもの、大人から子供へ伝えるもの、子供から親へ舌足らずの口から伝える事の大切さ、それをきっちり受信する。
女から男へ、男から女へ伝えるもの、違う角度、違う視点から伝えるべきものは本当に多いと思います、それをしないのはあまりにももったいない!)
昨日遅い時間に昼食をとってしまって夕方になってもお腹が空いていなかったのでお腹を空かせるために前からやりたかった工作をしました。
はめ殺しにしてあった北側の小さい窓を開けて夜寝る時は戸締りができる扉に加工したのです。
たったこれだけのことで夏の間はその扉を開ければ風が吹き抜けます。気分爽快です。
甘く見ていたリフォームにちょっとでこずって、いつもよりずっと晩酌の時間がずれてしまいましたが、出来上がったその扉を見ながらいっぱい飲むのはとても良い気分でした。職人は手を動かしてなんぼ。
こんなことで幸せな気分になれる僕は本当にいいやつだなぁと思いました…あはは🤣
ユリイカ、そういう名の雑誌がありましたね、と書いて、待てよ、過去形でいいのかな、と調べると今もあるんですね。アマゾンでバックナンバーを注文できるということですか。
そういえば、2020年にコロナ騒ぎで日本を出られなくなったとき、我が家の倉の二階に紐で結んだ「学燈」という雑誌を何年分か見つけました。丸善のPR雑誌で1897年刊とか。驚いたのは裏表紙の宣伝にドイツの古書があったことです。そのうち、と思って全然読んでいないのですが、字が小さいので今後は読むのが益々難しくなるでしょう。昔は老眼になるまで生きている人は多くなかったし、長生きして老眼鏡掛けて読破しようなどという人はかなり少なかったので、出版社は高齢者のことなんか眼中になかったのでしょうね。
ミロのビーナスの頭像、届いたときは御気に召さなかったかもしれませんが、焼き芋部屋になかなかしっくりと似合っているじゃありませんか。
「嵌め殺し」の窓という言葉が面白い。英語ではなんというのかと思ったらfixed windowとありました。芸がないですね。開閉できない窓や戸を「嵌め殺し」と名付けた日本人、すごいなと思います。