5月30日(木)
10年一昔という言葉がある。
調べたら20 ± 8歳くらいのZ世代の感覚では6年位が一昔と言う感覚みたいですね。そうなのかぁ、、。
ここ10年の事を考えてみると僕には10年一昔、がしっくりきます。
10年前は今の状況が全く想像できませんでした。
かっこつけて言えばこの状況を選び取ったと言いたいところですがよろけながらも何とかここに着地できた…というのが本音です。
昔の友人たちが岡目八目で今の僕のある意味典型的な独居老人の暮らし方を見て、、僕らしい生活というかもしれないなと思いました。
高校生気分のまま。進歩なし。そのかわり何にでも興味がある。これが嬉しい。
何とか体が動く。これがありがたい。もっとも、鉄棒でくるくる回れるほどじゃない…当たり前。
たまにのんびりしていて、時々あくびが出るほど🥱、、これが旅をしている気分で今までになかったことなので楽しい。
何年か前に僕はもう死ぬと勘違いして、、勘違いだとわかって復活した時決めたことがあります。この話前にもしましたね。またします。年寄りの繰り言。
人間はいつ死ぬか分からないのでこれからは1人ずつさようならをして行こう…さよならの代わりに手を握らせてもらう。
既に2人ばかりに心の中でさよならを言った。さよならが言いたくても言えないこともあるので言える時にさよならは言うべきだ。
きちんと面と向かってさよならが言えるなんてこれこそ平和だと思います。手を握らせてもらうときに口に出してさよならを言うわけはありません。さよならは心の中で念じるだけです、(さようなら)ありがとう…前にも書きましたが、お勧めしたいです…いいもんですよ…この心がけも実は母の直伝です。
昨日も本などパラパラめくっているだけでどっと疲れました。快い疲れに近いです。きっとまとまりのつかないことを考えているのだと思います。
つまりこれが高校生気分です、、第4コーナーを回っているというのにこれから未来がやってくるような気分…能天気万歳
高校生なのに毎晩酒を飲む…このルール違反な感じも悪くない…
今日の結論…高校生のあの頃と精神構造は何も変わっちゃいない… 40歳まではしゃにむに働く…それ以後は晴耕雨読で農民のように暮らす…僕が高校生の頃、中学生の時の親友にそう吹聴していた、、そんなことを昨日思い出しました…あはは🤣
自分の日常でいつも感じるのは、ドイツに来てからの23年は短かったなあ、ということです。それを示すのが、まず着ているもの。先週からの4連休でお出かけに着たのは21年前の帰国中に買った服。アクセサリもジャケットも17、8年前のもの。10歳のときに買った服を30歳でまだ着るって、まずないですよね。それだけ自身の暮らしには変化が少なかったということでしょうか。変化が止まる時期にこちらに来たとも言えます。
でも頭の中はそうでもない。古本をいっぱいもらって、若いとき読み損ねた小説や評論を読みましたが、30代・40代ならこんな感想は持てなかったと思うほど、感動したり憤ったり、深く頷いたり。仕事に追われていた日々の精神の貧しさということかもしれませんが、だとしたら、やはり時間の余裕が与えられたことは恵みですね。年寄りの特権というべきか。