5月29日(水)
売り家と唐様で書く三代目
放蕩息子が親の身代(しんだい/財産)を潰す、、なんて言葉を昨日思い出していました。
なんでこんなことを思い出したかというと能天気な人たちが増えると世の中どうなるかなぁとちょっと考えたからです、、良い面と悪い面。
地域でぶらぶらしている人が増えれば街に死角がすくなくなる、、え?!
監視カメラは今やサイズの大きい産業になりつつあるらしい。街に死角をなくすためだ。
監視カメラはセキュリティーを高める必要性に迫られて設置されている。
まかり間違うと刺々しい監視社会、、監視されることが安全性を高めることを盲信してはいないか?
一方ぶらぶらしてなんとなく自警団みたいな動きをしている年寄りや落語に出てくる遊び人の若旦那や与太郎はソフトパワーとも言える街のウォッチャー、見守り役、、自治体はアルバイト料を払ってもいいと思う。
こんなことを考えたのはもう世の中はすでにセキュリティー優先社会に移行し、完成に近づいているからだと思います(個人情報/識別情報が追跡可能=トレーサビリティーの精度をどこまでも上げることに反対が少なくなりつつあり、後は時間の問題かなぁと思っています、、全体主義国家に悪用され、民衆管理に使われることを考えると恐ろしいですが)
(新しく建築される家の窓はますます小さくなってまるで監獄の窓みたいだ、安全性を高めるための要塞化、人々がこれを望んでいる、、僕はまだその考え方に追いついていないし、他の人が本当のところどう考えているのか、考えていないのかが全くわかっていない)
セキュリティーを高めるシステムで犯罪者は減るかもしれないがその反面、犯罪者のさらなる巧妙さを誘導する可能性も高まる。
(人間の無力化、無害化を追求し(つまり人間の家畜化?!)国家や企業が扱いやすい人が増えれば管理社会は一見まともに成り立つように思える…人々がそれを望んでいるからだ…本当にそうか…そんなバカな。
社会の階層化、分断化、、誰かがそれを推進させようとしているのか?その方が管理しやすいからという理由で…。
(アメリカに見られるように監獄管理まで民間の会社に委託する時代、既に、戦争を請け負う民間の会社もあるとか、、)
そもそも僕らはそんな社会を望んでいるのか?
管理社会化にゴーサインを出す前に(意見を言わなければゴーサインを出しているのと同じ)…犯罪する気をなくさせることも、情報化社会の転換点としてそろそろ真面目に考えた方が良いように思う。
犯罪経済学という学問が昔あったような気がする。犯罪を減らすために厳罰化を促進するときの経済面における得失を考える学問だったと思う、、うろ覚え。
砂の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ、、石川五右衛門の言う通り…盗人の「種」を減らしていくことも考えていく。
監視カメラを増やすことだけが社会の安定性を高める唯一の方法ではないと思います。
(防衛産業がますますこれから盛んになりそうな気配。
儲かるからだ。
使ってしまえばアフターケアはゼロ…そんな商品ありませんよ、、つまり、こんなうまい魅力的な商売はそうそうないわけです。
そこんところそろそろ真面目に考えたほうがいいと僕は思います。戦争をゲームにして遊べるほど人間は進化していない。
ゲームセットの最終ボタンをロシアンルーレットのように考えては人間もおしまいだ。死をもてあそぶようなレベルのゲームのどこに人間の英知がある?
金(かね)は便利なだけだ。金に罪はない。金のことをもっと小学校から勉強すべきだ。金がいかに人間社会を牛耳ってきたか小学生からしっかり学び便利で危険な金の取り扱いを教えるべきだと思います。
命を守る武器についてもきちんと学ぶ。
体格が劣るものでも武器を持てば同じ立場に立てる武器の功罪もまた金と同じ。
金も武器も必要性があるから世の中に存在する。僕らがそれを適切に扱えるかどうかだけの問題だ。
後ろめたくなければ別に管理されても良いだろうという言い方もこれから増えるだろうと思いました。
能力があるんだからいくら金を稼いでもいいだろうという言い方も増えるだろう。
それに対する反論は各自が考えなければならないと思います、、
つ、つまりその… そんな事は頭の良い誰かが考えてくれると考えるのではなく頭の良い誰かはあてにならないので仕方なく自分で考えると考える、、こういうあきらめ方もある…積極的な諦め、といいます😅
(「積極的な諦め」は流行らせたい言葉ですね)
何でもかんでも力の原理、無理がはびこる風潮、、力のありか、源は国家と企業。
国家と企業が進める便利さが加速していく世の中のままに流される人任せの社会に僕には見えてしまう日本の行く末、どうなるんだろう、どうしたいんだろう?
システムの暴走?の緩衝材としての人的ネットワーク…これってこれからとても有効だと思います。僕らが社会的動物であることを思い出すためにも、人肌を求めよう、、北風と太陽の童話が教えてくれているのはそのことのように思います。
(大きく構えて小さくまとめる…僕の文章の書き方そろそろ変更が必要だ、、あはは🤣)
(昨日夕方近くなんだか疲れてしまったので…気分転換に下駄箱の中に設置するついたてをつくりました、、作ってからわかったことがあります…僕は格納庫が欲しかったのではなく…格納庫を作っている格子の部材が欲しかったんだということでした)
実は昨日のコメント欄に書きたいことがあったんですが、長くなりすぎるから止めました。それをなぜ今かというと、明後日から4連休で明日出かけますので、しばらくコメントできないから。
10日ほど前に、近く(と言っても車で20分ほど)のカフェ・レストラン+小さな宿泊所を経営している奥さんから夫に電話があり、近く日本人女性が4人来て数泊するんだけど、ドイツ語は全くできないし英語もほんのちょっとだけ、しかも全員80歳を超えているの。手助けしたいけどコミュニケーションが難しいのでちょっと来てみてくれない?と問合せがありました。
私が日本人だから、というのが理由ですが、この奥さん商売抜きでとっても親切な人なんです。話によると彼女たちはすでに過去に2度ほどやってきて泊まって行ったそうな。それで、とにかく会ってみようと、日曜日の朝食を一緒にすることになりました。
その話を仲良しの日本人Kちゃんにしたら、あら、面白そう、だけど村のそんな小さな宿をどうやって見つけたのか、そこが知りたいわね、という。一方でウチのダンナがKちゃんのドイツ人のご主人に電話して、日本人4人だか5人の中にドイツ人男が1人というのも困惑するから、お前も来ないか、と誘い、結局日曜の朝はその日本人女性3人(もう一人は後日合流)と日本人/ドイツ人カップル二組が顔を合わせることになりました。
一体どうやってこんな田舎の宿を知ったのかと尋ねると、もう10年余り前に「地球の歩き方」とかいうガイドブックにここのパンやらケーキの話が出ていて、宿泊費も安いので、友人を誘って来た。すーごく楽しかったので、また来て、三度目を2020年に計画していたらコロナでダメになり、今回やっと願いがかなった。
驚いたのは、誰一人パソコンなど使ったことも無く、スマホは持っているけど電話用だけ。カメラは別にデジタルのを持っている。3人だか4人だかの間での通信は電話またはファックス。全部紙の世界。予定表を見せてもらうと、全部自筆で細かく書き込んである。
使っている航空会社は欧州便が一番安いポーランド航空。ドイツ国内は列車かバス(バスなんて全く信用できないので、Kちゃんも私も使ったこと無し)。でも、いつもドイツ人の、それもたいていは男の子に助けてもらって、重い荷物も持ってくれるし、道は教えてくれるし、駅でも困ることはほとんどなかった。えっ、ドイツ人ってそんなに親切だった?とKちゃんと顔を見合わせることしきり。
このご婦人連、82歳が二人、もう一人は78歳。団長さんは82歳で、週末にはスイス・イタリアに移動するそうだけど宿が決まってないところも。まあ、どうするんですか、と訊くと「どこかあるわよ、未定というのも楽しいじゃない?」と、いやあ、もう日本人の老女には脱帽でした。ちなみに全員独身。やっぱりこの肝の据わり方は、一人で生き抜いてきた自信でしょうか。
生き方が全く70年代なんです。なんか古い時代の物品を展示する博物館に入って古い時代の人に出会った気分。それでもこうやって外国に遊びに来られる。外国語の能力なんか必須じゃない、IT無知だって全然構わない、お金もあまりないけど何年かに一度旅する程度なら貯められる。若ささえ要件に含まれない。
何もかも整えて準備完了してからでないと一歩を踏み出せない私たちって・・・要するに意気地なしなのよね、とKちゃんと反省しました。