5月28日(火)
天気予報がよく当たるので助かる。今日は雨降る予報、、昨日のうちに木製の格子で組んだ格納庫をばらして背の低い屏風組み立てにリフォームするのに必要な蝶番をビバホームで買った。
もう段取りが決まったこの仕事は今日の気分転換用の楽しみです。
プールで僕にいろいろ聞いてくる人、たまに聞いてくる人、僕の方でちょっと一言その人の癖を直したい人などが周りにいて…プールも結構面白くなってきました。
高齢者が多いのですが…意欲的な人を見るとこっちまで元気付けられます。
助言するのは僕なんですが教えられることは、僕の方が圧倒的に多いです。教えること、伝えることは教えられること、伝えられることと同じ。
クロールのツービート泳法は高齢者にも合っていますし省エネ泳ぎなのでオススメなのですが…昨日それをお勧めしたら…なんで最初からそう言ってくれなかったのかと厳しいツッコミが入りました。
こちらとしては段階を踏んだ方が納得も習得も早いのではないかと思っていたのですがその方は段階を踏まずに最終形、完成形に最短距離で行ける方法を示せとのこと、、僕が示すステップなんて、、そんなかったるいことやってられないということらしいのです。
言われてみれば確かにその通りで…そうなるとこっちも頭を切り替えて最短距離とは何かを考えなければならなくなりました。
そんなことから昨日つらつら考えて…思いは別の方向へ、、思いは千々に乱れる、、まぁこういう病気です。
文部科学省が設定している学習指導要領…あれは本当に最短距離なんだろうかと余計なことを考えてしまいました。
網羅的にバランスよく学習させるのは何のため?
中学生になったら自分がやりたい勉強にさっさと取り組めるようなシステムに移行するのは難しいのかなあ、、勉強が大嫌いな人もいるわけで…じゃあ君は何に興味があるの?
そこのそもそも論を小学生のときに話題にしてはまずいことがあるのか?
それは疑問だ、疑問が湧くことに順番があるわけじゃない、、疑問は突然やってくる、、大学に行くまでそういう質問をストップさせる必要はないと思う。
そんな我慢比べをして何かいいことあるのかなぁ。集団行動を学ばせるには良いかもしれない?
それが社会的に必要だと言うなら、足並みをそろえる目的はなんだろう。
網羅的に勉強して世界を俯瞰する?それはないか。一生かけたって難しいと思うのに…。
その一方で、やりたいことがあって興味に火がついたら小学生でも言われなくても勉強するだろうなとは察しがつきます。
そうやって勉強した人は偏ったオタクになるんでしょうか?
僕は、到底そうは思えないです。
順序が逆のような気がします。興味が進化して専門の分野に入り込めば専門書を読みこなさなければならない。そこで日本語を学んだっていいわけだろうと思います。
そんな話もよく聞きます。
二次方程式の前に微分積分を先に教えてはいけない理由はなんだろう?
その方が一般的に理解がスムーズに行くからか?
一般的とは何だ?
AIシステム同士の競争が近々始まるだろうと思います。
個別学習ならAIの出番は多くなってくる、、人手が足りなくなるだろうからだ
始まってほしい。あっ、もう始まってるのね。
言うだけは簡単だけど現場は大変だろうなぁ。
いかに学ぶか、学ばせるか、競争、、本命は、、自分が好きな勉強を探すこと、、そうであっては不都合な点も探すことこそこれからの教育者の仕事じゃないのか。
誰だって最短距離を行きたい。早いとこ到達して1番難しいところ、解決できないところに到達して…そこが1番自分がやりたいところだと確信すれば、そこにしっかり時間をかける…これが1番贅沢で効率的な方法だと思えてきました。この話題今日はここまで。
昨日、立石の仲見世に寄ってモツの煮込み200グラム400円購入、汁が漏れないように二重に包装して最後にポリ袋に入れてくれる。考えてみたらすごいサービス。
そのすぐ前が八百屋さんです。ネギ、小松菜、さやえんどうを買って、大きなにんじんが200円それも3本で、ですよ、、もちろんこれも買う。店の主人はぶっきらぼう…これが僕には快い。こんな安いものを売っていていい顔できるわけがない。
乾物屋で150円のきゃらぶきを売っていたのでこれも買ってきました。
スーパーとはどう違うか…ちょっとわかりにくい。どっちも同じように便利… 1カ所にいろんなお店が集中している、仲見世とスーパー。
わかった。八百屋さんの顔がはっきりしている。乾物屋さんの顔もはっきりしている。煮込みを売っている惣菜屋さんの顔もはっきりしている。店の作りを見ればそれぞれのお店のコンセプトもわかる。みんな顔がはっきりしているのだ。
こんなことがわかるのに何十年もかかっている…やっぱり僕は超オクテだ。
下町の顔はみんなはっきりしているのだ。ほんとにそうかな…この辺のところこれからよく考えたいです。
本当に僕が考えなければいけないのはこういう点だと思いました。半径500メートル以内の僕が今までずっとないがしろにしてきたところ。
紫陽花や咲き初めて知る季節かな
私はスポーツはからきしダメなんですが、体質から水泳を禁じられていなければ、これはいい運動だと思います。先日、日本人女性三人に会う機会があって、いろいろ質問されたので「私、人と一緒に行動しなければならないの、割と苦手なんです。気を使うから。読書とかお絵描き・駄文書きとか、一人でできることが好き」と話したのですが、水泳だと全く単独でやれるし、そこに人と知り合うというオマケが付いても苦にならない。
子供の時からの性格は治りませんね。小学生の頃から私は集団で何かをするのが厭だったので、仲間に加わらずにいることが多かった。それでバリバリの共産党の女教師が通信簿に「人と助け合うことができない」と書いて、母に物凄く叱られたことがあります。いや、誰かを助けるのは厭じゃない。でも、何人もが集まってああだこうだというのは煩わしい。私にできることがあれば喜んでするけれど、その場合「これをして下さい」「これがあなたの仕事です」とはっきり言ってほしい。でなければ、私一人でやるとか。
多分、死ぬまでこんな具合だと思います。