5月25日(土)
まぁこれからは暇つぶしを本気になって考えないと辛い時代がやってくる…決して甘い見込みではないと思っています。
平知盛、、平家物語では武士らしく死んだ大将、、見るべきほどのものは見つ、、と言い残した… かっこいい、、ただし、、平家の盛衰を最後まで見届け、この時代に君臨した一族の我が世の春を源氏に完敗して締めくくったこの人だからこそのもの。
庶民はとてもじゃないがどう勘違いしてもこんな台詞吐けるものじゃない。まして僕なんか、せいぜい半径500メートルに人様のお邪魔にならないように生息しているだけですから😅
ところで…僕には50年後が見えない。
まぁ寿命から言えばそれでいいわけですが、、
陽気な未来学者?たちのある予想、、とてつもない革命だった狩猟から農耕への革命、それに次ぐ産業革命…いずれも前の時代の数十倍の生産効率の発展を成し遂げている…
次はいよいよ21世紀以降に起こる革命の未来予測…どう変わるかはともかく前の2つの革命と同じく前の時代よりも数十倍の産業的な進歩を予測している本もある。
そんな進化に耐えられるのか?
人間の優れた能力は他の動物と比較にならない、その適応能力、、まぁあっという間にスマホも何の抵抗もなく使っている場面を見ればそうかな、、と思えます。
(昨日も兄の施設への往復の電車の中ではトレインTVとか言う画面が常時放送されていましたし、、夕方の電車では結構な年齢の紳士が立ったままつり革にもぶら下がらずタブレット端末を器用に操っていました。
僕の前の青年も薄くて軽いパソコンをパカッと開いて何やら作業をしていました…もう「どこでも職場」って感じ)
見ている現実が幻想なのか真実なのか判断を要求されるそんなストレスの中、これから先、人間はどこまで適応していくんだろうか?
いっそ頭を切り替えて、未来小説に出てきそうな現実モードとバーチャルモードを並行させて、大して混乱もせずに生活していくか?
もしかしたら…二重人格、三重人格なんて現代人は既にとっくのとうに操れるようになっているのかもしれない…ただ意識に登らないだけ。
戦闘現場や爆撃場面見た後で頭を切り替えて野球放送を見るようなものか?
はたまた1人のアナウンサーが悲惨なニュースを伝えたり楽しい話題を伝えたり場面に応じてコロコロ表情を変える対応力はその一端では無いのか?
現代人は標準装備で脳の中に切り替えスイッチがある、、
たいした想像力もないくせにこんなことを考えるのは僕の勝手…暇つぶしにこんなことを考えたらちょっとは頭の体操になるだろう、、あはは🤣
緑陰で夏追いかける園児かな
すっきりと顎線細し夏の人
荒川や岸辺映して夏一服
(昨日兄の前住んでいた家の通りにある古道具屋で石膏像を載せるのにちょうど良い柱状の高さ80センチ位の置台が990円で買えたので兄の家で分解して我が家に持って帰りました。
探しているものはすぐ目に付く。
いつも何かテーマを持って探していればチャンスは向こうからやってくる…ちょっと甘い考えかもしれないけれど…楽天的にそう考えて生活していこうと思いました)
探しているものはすぐ目に付く。セレンディピティですね。この言葉、ご存じでしょうけど(発音しにくい)、一応ウィキをコピペしておきます。
<セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること[1]。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
「serendipity」という言葉は、イギリスの政治家にして小説家であるホレス・ウォルポールが1754年に生み出した造語であり、彼が子供のときに読んだ『セレンディップの3人の王子 (The Three Princes of Serendip)』という童話にちなんだものである。>
セレンデイップとはセイロン、今のスリランカのことですって。ホレス・ウォルポールについては一応「英文学史」で習いました。彼の小説がどうのこうのというより、その奇妙・奇怪なストーリーが後の作家に与えた影響が大きいんですって。
「1人のアナウンサーが悲惨なニュースを伝えたり楽しい話題を伝えたり場面に応じてコロコロ表情を変える対応力」これって、何ともあざとい感じ。多くの死者を出したニュースを報道するとき黒い服を着ていたりすると、へえ、前もって準備してあったの、と言いたくなる。もちろん局の衣装部が用意するんですが。
大人物の余命が限られるとなると、放送局はさっそく死亡のニュースを準備して、あとは息を引き取った日時を書き入れれればいいだけにしておくそうです。ま、そりゃそうでしょう。こういうとき、大物なんかじゃなくてなんて幸せ、と思わずにはいられません。
「いつも何かテーマを持って探していればチャンスは向こうからやってくる」、これは割と高い確率で言えることだと思います。確かなことは、探したり求めたりしなければチャンスは来ないということですね。たまに、何にも考えちゃいなかったのに、偶然に教えられることもないではないけれど。