5月23日(木)
洗濯機で100円ショップで買った洗濯用ネットにアクリルの毛布を入れて洗ってみた、、成功。
夏物の服を出し冬物をしまう。
といっても、後ろにあったものを前に出し前にあったものを後ろに引っ込めるだけなんですがそれだけで結構時間を取られるもんですね。
今年、着なかった冬物の服も風呂敷にまとめました、、
四角く切り取ってはぎ合わせてパッチワークの作品にでもするかな。
兄のお世話をしてくださるケアマネージャーさんが交代したので明日は兄の所へ行って簡単に打ち合わせをします。
本来は君らがやるべき仕事だよと甥っ子たちには暗に言い含めてあります。
兄の友人も多分見えるので、兄も楽しみにしていますが、僕のほうは往復だけでも一仕事になります、ま、たまに電車に乗るのも気分転換になる事は確かなので、重い安全靴をわざと履いて負荷をかけトレーニングも済ませます、、なっちゃって😉
(すぐ書ける手紙・はがきの文例辞典:主婦の友社編1994年第1刷発行
バラバラ見ていて、、
義父の還暦を祝う、恩師の喜寿を祝う、、のページに目が留まる…
おいおい僕も還暦はとっくのとうに過ぎて何の感激もなかったけれど、、喜寿!目前、、やったね、、こんな長生き予想もしていなかった。そもそも、考えてみたら…いくつまで生きるかなんて考えたこともない、、ほんとに?
おいしいもの食べて長生きするんだよ、、との母の遺言にも則っている。
何を食べてもおいしいし、3人うまくすれば全員80歳を越せる…いろいろあったところでそんなことはもうどうでもいい…厄介をかけられることもない、、自分の面倒を見ているだけで良い、、なんて安楽なことだろう
寿命とはよくぞ命名したものだ…余命を寿ぐ、、
自分でお祝いしよう、、
最も考えたら毎晩祝杯をあげてるようなもんだ
せっかちな僕はさっさと今晩喜寿の前祝いをする、、あはは🤣)
私も今年の秋には一足先に喜寿を迎えます。そのときは多分日本にいるのですが、日本では兄弟姉妹でも誕生日を覚えていることはあまりないので、密かに一人で感慨に耽ることができるのがありがたい。
この頃、いろんな過去の有名人や偉人やその家族について調べていて、1890年生まれと出ると、あ、うちのお祖母ちゃんが1889年生まれだから同世代、死んだのは1977年、ほう、これもお祖母ちゃんに近い、などと自分の家族や親戚の生年・没年等と比べて親近感を覚えることがあります。
森鴎外と夏目漱石はほぼ同世代ですが、うちの曽祖父が明治維新の少し前に生まれているから彼もコンテンポラリーの人、正岡子規も近いですね。もっとも曽祖父は漱石も子規も全く知らず70歳で没し、当時としては長生きの部類。子規なんて34歳だったし、漱石も50歳を前にあの世に旅立った。そう思うと、少々体に不具合が出てもあまり騒がないようにしよう、と自分に言い聞かせています。
「すぐ書ける手紙」文例辞典ですか。私は今日、昨年末にもらったカードに返事をしていなかった従弟に手紙を書きました。義兄が亡くなったこととか、義姉が要介護の身になったこととか、いろいろ言い訳を並べて。メールアドレスも知っているのですが、カードにメールではちょっと申し訳ないような気がしたものですから。それと、いわゆる普通の手紙を書くことが稀になったので、便箋が余っているのも一つの理由です。便箋を使うために手紙を書く、なんて、まさに暇人のすることですね。