5月22日(水)
また1つわかったことがあります。
自分自身で自分を鼓舞するのは身に付いた才能だと思うことにしました。
そう思ったらとても愉快な気持ちになれます。僕には才能がある…と思っただけなんですけどね。
小学生の頃から飽きっぽい飽きっぽいと言われてましたけど飽きっぽいのも才能だと。
そう思ったらぼくが考える、変な人の変なところも本当は才能なのだということに気が付きました。
長閑さや初夏じっとして青天下
夏迎えシャツ1枚の平和かな
(午後から本を読んでいて疲れたので縁側に寝そべって流れる雲を見ていました。
くまんばちが部屋に入ってきましたが暗いところに用はない、とすぐに出て行きました。
縁側と平行に雲が西から東にとてもゆっくりと流れていきます。路地の2階から見る空は同じく縁側と平行のお隣の屋根で区切られた細長い空です。
その空のちぎれ雲の集団が入道雲に変わるのはまだ先の先だ。
ぐずぐず寝そべっていたらあっという間に雲は流れ去り2 、3片しか残っていませんでした。
(こんなのんびりした経験初めてのような気がする。
スマホの画面は次々に上書きされて…絵巻物を見ているようでもあり、巻きとられていくスピードについていけない…見ている画面はまるで映画の中の幻想だ、、なんてとんちんかんな感想まで出る始末。
耳を塞いで目に色眼鏡をかけて現実を見ないようにしているせいだと自覚はしていますが、その自覚の中身が危うい)
それにしても、国家プロジェクトだった第5世代コンピューターの雰囲気を知っている世代としては… 世界中のネットワークでコンピューターが結びついた今を見られてよかったと思っています。
(その弊害の大きさよりは流通がもたらす便利さ優先。ネットに引っかかってくる大量のゴミには注意)
なんたって僕が働きだした頃…会社の電算室のコンピューターでは紙テープにポチポチ穴を開けていたのを使っていたのですから…それでもおおすごいなぁと思っていた位です。
今並行して何冊か読んでいる本は第二次世界大戦に関する記憶や記述が多い。
読みながらその態度は、、未来予測を過去に聞いている感じがしています。
いつの時代だって激動の時代でなかった事はない、、とも感じています。
そのうちの1冊、、、私の平和論(戦前から戦後へ)日高六郎著:岩波新書411: 1995年10月第1刷発行
大正ロマンの自由主義の雰囲気を知っている戦没者が残した記録とか、、憲兵が幅をきかす時代に大学生だった人たちの遺言、きけわだつみのこえ、に残された思想の振幅はアメリカの検閲が入ったとしても当時の人々の考えの貴重な記録、、その時代の受け止め方は戦前戦後や年齢によってそれぞれ違ってくる。
今から振り返って当時の若者たちの判断を前に安易にどうこう言うことはできない。
風速30メートルの時に下した判断と風速50メートルの時に下した判断にどう甲乙をつけると言うのか、というような意味のことを著者は語っています。
それにしても語って残さなければ何も残らない、語れ語れ語れ😅
誰も聞いていなくても自分が聞いている。
紙テープにポチポチ穴を開けたのをコンピューターに使う・・・ありましたね、そういうの。perforated tapeとかいいましたっけ。
今日の午後は、夏物をだいぶ前に洗ってしわくちゃのまま吊るしてあったのにアイロンを掛けました。外の温度は結構低いんですけど、それだけで汗をかいてしまった。私、アイロン掛けはものすごく苦手なんです。それでよそいきはいつもクリーニング屋に出し、ブラウスなどは時にお手伝いさんに頼むのですが、そう毎回人を当てにしても、と今日は珍しくがんばりました。出来栄えは35点です。まあ、いいか。もっと年取って、日本で暮らしてゐるときアイロン掛けが必要になったらどうしよう。極力木綿や麻のものは普段には着ないようにしないと。
いや、それより、縦長の箱みたいなのの中に洗った服を吊るしてスイッチを押すと、4,5分で服にアイロンが掛かって出て来る、っていう自動機械を誰か発明してくれないかなあ。
第二次世界大戦に関した本を読んでいらっしゃる。今日の新聞の文化欄に、見開き二面をたっぷり使って旧ユーゴのチトー大統領についての記事が出ていました。この人の評価は、現在では偉人と悪人との真っ二つに割れているんですって。そのせいか、三人目の奥さん(27.8歳下)はチトーの死後はボロ家に軟禁状態で暮らしたんですって。
まだ読み始めたところですが、彼の母親はスロヴェニアの出身、父親はクロアチアの人、貧農の家庭で、15歳で働き始めたチトーの最初の職業は機械修理工だったそうです。チトーのお墓はスロベニアにあります。子供は何人かいたけど、誰も政界には入らず出世もせず、名前さえも知れない。何か他に面白そうな話が出ていたら、また報告しますね。