5月17日(金)
夜は雨が降っても昼間はいい塩梅に上天気。汚れた空気が洗い流されたような気分で清々しい。
1980年代前半の韓国に渡った在日の野球選手の物語を読んだ。図書館のリサイクル本。
(海峡を越えたホームラン:祖国という名の異文化:関川夏央著:双葉社1984年10月第1刷発行)
リーグが始まって間もない韓国野球の世界に母国語もままならない在日韓国人選手の苦労話が清々しい。
日韓の架け橋になったのだと思いました。習慣の違い考え方の違いに戸惑いながらも、民間レベルで残してきたその葛藤と親睦、韓国野球の草創期に、前後して僕も韓日経済の日刊紙を発行している新聞社に経理担当者として在籍した1年を思い出しました。
(深い考えもなく飛び込んだ日本の中の外国?
日本人の社員と韓国籍の社員半々入りまじり、知らないことばかりで目から鱗ぽろぽろの毎日)
韓国に渡った在日韓国人の野球選手の…母国語もままならないまま、日韓の考え方や習慣の違いからくるカルチャーショックの中で試合に出場し続けるその1年ごとは長かったろうなと察しがつきます。
彼らの苦労とはもちろん比ぶべくもありませんが、せめて伝票にたまに出てくるハングル文字位解読できるようにしたいと韓国語セミナーに終業後通ったこともありましたっけ。
(なぜ1年だったかは前も書いたことがありますが、当時、自分の中では勝手に、決算の請負人みたいな感じでした。気負っていましたね、赤面の至り。
東京本社の経理担当者が不在で大阪支社の経理担当者が東京に出張して、事務をこなしていました。
その状況を、うかうかと入社した僕が引き継ぎ1年後の決算を終えたところで後釜の経理責任者が入ってきたのでその人にバトンタッチして、僕は退社した。
その当時は若さもあって馬力で世の中を渡ってきたところもありますね…向こう見ず)
在職中、同じ在日の韓国の人たち同士でも在東京と大阪、または世代間のその温度差に毎日のようにびっくりしてました。
在日2世の同僚たちの中だけでも考え方は様々でした。
本を読んでいても…在日と本国の韓国人同士の考え方の違い、納得できるところが随所にありました。
(日本と同じ儒教国である韓国も長幼の礼は崩れつつあるとは聞くものの家族の絆は日本よりも強いと個人的には感じています)
翻って、同じ日本人同士でも育った環境の違い、世代の違い…この年まで生きてくると…いかんともしがたいと感じるところもありますが、、同時代を生きていることは間違いないので、埋められない溝ではない、と思って踏みとどまりたいところです。
乳母車素足赤子とゆく5月
雲光り雲飛ばされる5月好し
昼の月飛行雲あり5月空
雲払う5月の風の青天下
新ジャガをチンしてバター春終わり
新ジャガをチンしてバター春終わり
こういう食べ方、昨日の厚揚げに生姜醤油と同様にシンプルでおいしいですよね。そう、もう夏になってしまった。こんな句を作りました。
・行く春や榕樹(がじゅまる)の根をほどきたし
だって根っこが絡まっているのイラつくんだもの。
80年代初めの韓国人の話、分かります。当時知り合った在日の女性が、帰国してもそこでは第二級市民の扱いだと言っていました。純粋の韓国人ではないとみなされて。これは、日本人が当時アメリカやブラジルなどの二世を見る目と似ていると思いました。
一口に韓国人といっても、本当にいろいろあるんでしょうね。そういえば、こちらの日本人の友人が、どこか(千葉だったか)の企業のボンボンから、ビジネス前に時間ができたからと頼まれて案内をしていて、そのボンボンが韓国人ガールフレンドを連れて来ていました。千葉のどこかでスナックを経営しているそうな。フランクな感じのいい女性でしたよ。若く見えるけどもう40代で子供を持つつもりはなく「今の韓国ではお金がかかりすぎて子供を生み育てる余裕なんかとても。それは韓国人の女性の多くがそう言っています」とのこと。韓国女性の生涯出産率が世界一低いと政府は焦っていますけど、もう時代が違いますからね。韓国は日本・シンガポールに次いで、健康寿命が世界三番に長い国だから、まあ、当面は何とかなるのでしょう。