5月15日(水)
兄の所へ行く以外は電車に乗ることも少なくなりましたが…電車に乗った時、以前からずっと観察していることがあります。
昔よくあった風景がなくなったのはいつ頃だったからか思い出せないほどその風景は変わりました。
子供が電車に乗ると、次々と移り変わる外の風景を電車の窓から見ているその風景です。外を見ている子供がいない。
電車の窓から流れる風景はそれほど殺風景でしょうか。僕はよほど疲れている時を除き電車にに乗るとらずに立って外を見ていることが多いです。
先日兄のところに行った時珍しい光景に出会いました。
空いていた座席でたびたび外の流れる風景を座席に座ったまま振り返り振り返り見つめている女性がいました。ん東京の風景が珍しい方なんだろうなぁと勝手に想像しました。
ところで僕がスマホを見ている時間は4時間以上です。ほとんどはLINEに俳句を投稿したり、KBCのフォーラムに載せるコメントを音声入力していたりに使っています。
後は画面に勝手に出てくるニュース、コメントの気になる項目をたまにチェックする位のものです、、
ところがこれが馬鹿にならない。短い時間で拾えるこうしたニュース類が僕の頭の中をコントロールしだした。
これは大いに面白くない。
スマホから離れる対処方法はただ1つ…本当に便利なスマホの音声入力を使わない工夫。
パソコンを昔のワープロみたいにして使う。指で文章を入力する。あるいは原稿用紙に文字を書いてゆく。
僕が小説を書き出せたのもスマホの音声入力のおかげ…それは感謝しきれないほどの機能。
でも時間ができた今…立ち止まって考えてみたい。
スマホを見る時間帯に制限を加えたい、、ところでなぜ?
まぁそれを考えるためにです。
いろいろ頭の中を駆け巡る雑多な想いの尻尾を捕まえるためにスマホの優れたメモ機能に頼りすぎていて…磨滅していく何かもあるかもしれないと気になります。
と言うわけでサラリーマンがスマホを見る時間帯、、昼休みと午後5時以降の30分ずつぐらいにしました。
机の上には帳面、財布の中にメモ紙を挟みボールペンも一緒にしておく、、早速やってみたらこれで充分。
ことによると僕にとって身に付いてしまった習慣を変更する大仕事、、と思っていましたがやってみればわけは無い。
(パソコンをワープロのつもりで使う気でいましたがそれはやめました。音声入力の便利さが手放せません。
1日に2、3ページずつ読む歳時記が面白いですね。
半世紀位の前の歳時記に季節感が満載です。鳥のさえずり、季節ごとの海の幸山の幸に寄せる想いが楽しい、雉だの鹿だのが身近。
スマホを参照することに時間を取られる現代人、外の風景を見落としてることに気がつかない…
僕が60数年も前の歳歳時記を見てまるでその時代を知っているように、語り部が残してくれた(語り部出てこい!)記述で今の時代を思い出すのだろう。
昨日も気持ち良い五月晴れでした。
ちぎれ雲黒き鳥影五月空
あ、ちなみに口述筆記はメモ帳というアプリを使って行っています😌
私は未だに音声入力というのができなくて、それがどんなものなのかも分かりません。
だから依然として「パソコンを昔のワープロみたいに使う」という旧式なやり方です。スマホもありますが、入力の仕方が分からない。だから旅先ではインターネットのニュースは見られても、またいろんなブログは読めても、コメントを書いたりは無理。
でもその場合は、文明の利器から距離を置く期間として、本を読んだり手帖にメモしたり。キオスクで新聞を買って読むことも。多分一生これで行くと思います。
ウチの亭主は電話すらガラケーで、だから夫婦そろってITリテラシーはゼロ。でも日日の暮らしには困らない。
そうそう、スマホのカメラでは写真に撮影日が付くので、日記代わりになることもありますね。また、植物を写すとその名前が出て来るのもありがたい…のですが、私は植物辞典や写真集などをめくって名前を突き止めるのが一つの楽しみになっていますので、ありがたいような、迷惑なような。
文明の利器というのは、何かを人間に代わって迅速に正確に遂行してくれて、それで省ける時間を何かほかの有用なことに回すことができてこそありがたい。だけど今の私は時間を節約する必要はあまりなくて、何かを速くこなすことも意味がなくて、逆に私が紙と鉛筆でやりたいことを勝手にスイスイとやってくれるので、楽しみが奪われるように感じることもあります。世の高齢者は、現役並みによほど「効率化」の必要を感じているのでしょうか。