5月13日(月)
手は突き出た脳である、、という言葉を初めて聞いたのはもう40年近く前だ。その時はまぁそうかもしれない、うまいこと言うもんだなぁと軽く聞き流しました。
昨日は全く違う印象でその言葉を思い出しました。脳が発達したのは手のおかげではないかとしみじみ思ったのです。手を動かしていると頭も動きだす。
昔、僕の2代目の相棒がいちまるさんは新しいことを始めるとそっちばっかりに集中してしまってほかがおろそかになる、、ズバリ言い当てられてしまいました…その癖は今も抜けません。
昨日ちょっと部屋の家具の配置をいじっただけでたちまち面白くなっちゃってちょっとずつ配置を動かしたら全く違う印象になりました。
椅子を低くしたり、大きな棚をリサイクルに回したのでその空いたスペースに1時保管するものをまとめると、たちまち部屋が「軽く」なったような気がします。
(僕みたいに体が大きくなくて軽いものにとっては部屋が軽いのが1番心も軽いです。歳をとったら少し痩せている位がちょうど動きやすいです。
大きな人は若い時は押し出しもいいし見栄えが良いのですが歳をとったら痩せてるほうがずっと楽)
こうなるともう…重いテーマの本を読む予定にしてあったのですが、そちらのほうはさっさとほったらかして、あっちこっち加工したり部屋の配置換えに集中、ちょっと汗をかきました。
夕方は模様替えが終わった部屋を見ながら日本酒でいっぱい…労働の後の1杯はうまい、、とフーテンの寅が言ってましたけどその通りです。
(昨日思い立ってそうだ、デッサンしようと思ったのはいいけれど何をデッサン?
基本に戻ってまた石膏像のデッサンから始めよう…アマゾンで見たら…アグリッパ、アリエス、数万円!だめだこりゃ…仕方がないのでメルカリを調べたらミロのビーナスの頭部が数千円で手に入る…美大の中古品…写真を見ると手垢で真っ黒。ノープロブレム…昔写真家の友人が… いちまるさん、美大の汚れた石膏像、白で塗って再生してあげる商売どう?(と紹介してくれそうな雰囲気でしたが…はっきりっていくらにもならない)と言われた話を突然思い出しました…そうなんです…そうすることにしました、水性のつや消しのペンキで塗れば新品になります!
早速メルカリに登録して発注しました。
デッサンといっても僕の興味のあるのはとても範囲が狭い。
人物です。人物、人物像は僕にとって風景と全く同じ。
人間って風景。興味は尽きない。
ミロのビーナスの頭部デッサンは未体験、、基本に戻れる。
懐かしい。
デッサンは楽しい。その気持ちが戻ってきた。それがなんとも嬉しい。
(乱視がひどく、形がうまく取れなくなって、それを理由に絵を描くのをやめた。やめる理由が欲しかっただけだったのだなと改めてわかる。
見えることの素晴らしさを勘違いしていたのだなぁとその甘さがほろ苦いです、、この言い方も甘っちょろいですね😅)
こんな気持ちになったのも部屋の模様替えからです。
考えがまとまらないときは動くに限る、職人は手を動かしてなんぼ、、あはは🤣
(いらなくなった小さな長椅子の部材の曲線を活かして本箱を作ることにしました。テレビ台の中に入れ子にします。
決心が鈍らないように昨日寝る前に道具だけ出して揃えておきました、、少しでも工程を進めておく…これは長い職人生活で身に付けた良い習慣です)
レンブラントの絵に「ホメロスの胸像を見つめるアリストテレス」という作品がありますが、ご存じですか。ミロのビーナスの頭部デッサンの話から、この絵を思い出しました。ジョセフ・ヘラーという作家のPicture Thisという小説にこの絵が出て来て、聞くところによると1960年代の初めにニューヨークのメトロポリタン美術館が230万ドルで買ったんですって。
ヘラーの小説の内容は忘れてしまったけれど絵の事は覚えていたので、たった一度ニューヨークに行ったとき、必死で時間を作ってこの絵を見てきました。「ミロのビーナスの頭部を見つめるいちまる」って題の自画像なんか面白そう。