5月12日(日)
2階のがらんとした部屋にいると結構集中できる。
余計なものが目に入ってこないので身の回りの環境が動いていると実感できる感覚が面白い。
街は動いている…僕の方がとどまっているので余計そう感じられる。
昨日ちょっとまた片付けものをした。まだまだあったのかと自分でびっくり。
1年間使わなかったものはまぁいらないものとして処分する。
毎日少しずつ変わっているので自分の生活スタイルが変わった事はなかなか実感できないけれども片付けものをするとそれがわかる。生活のスタイルが変わればいるものといらないものも変わってくる。
なぜそれを取っておいたのかも思い出せる。
気分転換にちょっと散歩に行く。
ちょっと本をパラパラめくったりちょっと片付け物をしているとあっという間に夕方になる。
ちょっとの積み重ねがあっという間の一日になり、一ト月になり気がついてみたら一年になっている。
自分に集中するだけで、環境変化の凄まじさを感じる。
来月から京成線の線路が1本増えて運行がはじまる。従来の線路を高架にするために必要なステップ。
住民の日常生活を確保したまま工事を進める。工事をするために電車は止められない。それができることが…すごい。僕のような暇人はそれが凄いと実感できる。
毎日少しずつの工事の積み重ねが気がついてみればあっという間に街の様相が変わって見えるカラクリだ。
自分自身の変化にしても然り。少しずつの変化は自覚できない。たまに片付けものをすると毎日少しずつ変わっていく自分がどれだけ変わったかが少しだけ実感できる。
一生が短いと感じるのも結構長いと感じるのも自覚する自分をどこに置くかで変わって見えるだけの話、、と言ってしまえば身もふたもないけれど…
町全体が普段の営みを変化させながらも普通に、平常通りに行うことが平和だとするなら…それはある意味普通ではなく、毎日のたゆまない努力と大変な工夫の上に成り立っているという理解が必要だと思う。
平和を楽しむにもやはりコツがいる…あはは。
私もあるとき、2,3年使ってないものは不要物と思って少し処分したことがあります。ところが、捨てた途端に、あれを使いたかった、と思うことが増え、最近は手元に置いておくようになりました。一応収納場所はあるから。
特に衣類は、どうも冴えないと思っていた品でも、同じようにパッとしないスカーフやアクセサリーと組み合わせると、あ~ら、不思議、という効果が生まれることがあります。もう余り新品を買いたくないので、あるものをうまく使うことに目下凝っておりまして、これが結構楽しいんですよ。
昔現役だった頃に買ってその後袖を通していない服なども、本当に要らなければ捨ててもいいけれど、亭主と共に参加するイベントなどで大嫌いなスーツを着なければならないことがあり、と言ってそのために新調なんてもってのほか。そういう時、30年前、40年前に買った古いアクセサリーが思いがけず役立ったりして、それがとても嬉しい。自分で「お手柄、お手柄」って言っています。