5月11日(土)
昨日は多少風が強かったですけどいい天気で気持ちよかったです。
いつもの散歩コースで立石図書館に寄り、ゆず屋で捨子?になっていた人形を2つばかり買い、焼き芋ルームに仲間入りさせてやりました。
蚤の市捨子人形拾う春
日本庭園に関する図書館でゲットしたリサイクル本をパラパラめくっていて考えたことがあります…足利尊氏の室町幕府と徳川家康の徳川幕府ともに二百数十年の歴史がありますが僕は徳川幕府、つまり江戸時代は庶民にまで文化が行き渡った時代という意味では、「文化を通して」庶民の政治を見る目も育っただろうし、殺戮を繰り返した戦国時代を経ただけあって… 平和がもたらす効用みたいなものを庶民に至るまで身に染みていて感じていて、日本人がその余裕に乗じて「成人」した時代、、なんて考えてみることにしました、、ま、これからゆっくり考えてみるための仮定の1つですです。
士農工商の身分制度がどんどん崩れていった時代、商人が力をつけ、武士階級のインテリたちが庶民に紛れ込んでいった時代?
少しずつ勉強していこう。
とにかく僕は歴史を知らない。
庶民にお稽古事が広まった時代、町の道場、寺子屋、職人が腕を磨いた街、そこいら中に教育の場があった江戸の街。
僕らのおじいちゃんやおばあちゃんが子供の時分には東京には、まだまだ「江戸」がたくさん残っていただろう。街のご隠居さんはじめ「大人」もたくさんいただろう。
団塊の世代が崩れていく時代、団塊の世代が何かを残していくとすれば何があるかな?
今、時代の流れは、、庶民が作り出す時代とも仮定してみよう。
※なんちゃって茶道、平家物語購読会、、2階の空き部屋でできないかなぁなんて昨日の午後考えていました、、
また少し元気が出てきた。
(※昨日町会の掲示板を見ていたら…近くの中学校に新入生が29人とか出ていた。え?!たったそれだけ?
僕らの時代と本当に隔世の感がある。
兄の頃には1つの中学校で1学年40人以上のクラスが10クラス位あって、午前と午後の二部制に分かれて勉強してたとか聞いたことがある…僕の時代でも7、8 クラス!一年A組から数えて…G組H組まであった。
※今、年収200万以下で暮らす人が1,000万人と言われているらしいです。
一方空き家だって800万戸位あると聞く。
程度の良い物件は希望者に無料で貸し出しすればいい。収入が増えるまでの間、出費を抑える…焼け石に水かもしれないけれど出費が抑えられる分、実質的に収入が増える。
所有者を探し出し所有者に国からいくばくかの補助を出せば両方助かる。大家も老齢化してしまってアクションを起こせない。近隣の治安の上からも一石二鳥。国は事務がややこしいから世代交代を待っている?
遺産相続登記の義務付けが始まっているようだ。所有者が判然としない不動産がたくさんあるのでそれを判明させる一環だと思う。
今東京中の個人の郵便ポストに遺産相続した所有物件を売りませんかという不動産屋からのダイレクトメールが毎日のように届いているだろう)
士農工商といえば、時代小説を読んでいるとよく「部屋住み」の男子の話が出て来ますが、これは要するに長男以外は価値がなく、その長男が子供を持つ前に死んだ場合のリザーブだったわけで、家督も継がないから一生離れみたいなところで妻帯もせず暮らす運命にあった。まあ、運が良ければ娘しかいない家の養子になることもあったけれど、そういう幸運はあまり期待できない。
ちょっと面白いと思ったのは、そういう中で武士の身分を捨てて商人になったり、大店のお嬢さんの養子になったり、あるいは薬師、要するに医師と薬剤師を兼ねた医療従事者になったりする人が出たという点です。(だから御殿医でも町の医師でも、長男は滅多にいなかったとか。)そういう人たちにとって明治維新は大チャンスだったでしょうね。
ただ、この変革にもかかわらず、女性の地位はあまり向上しなかった。むしろ江戸時代に比べて明治の女性にはより多くの無意味な制約が課されたように思えます。女性の生き方は多分江戸時代の方がもっと自由で、立場も男性とほぼ同等の事もあったのではないでしょうか。これについては女性史の専門家の意見も聞いてみたいところですが、ある意味で明治時代はむしろ「後退」を経験したのではないでしょうか。