5月9日(木)
竈(へっつい)稲荷の猫:佐伯泰英著:
光文社文庫2023年6月初版1刷発行
修行の道に入ってわずか7年のその道では駆け出しの職人が見事な三味線を作り上げるまでの物語でした。一途なものづくりストーリー…僕のツボにはまりました。
母と住んでいた家(自由の庭)を僕が工作用の細い棒で骨組みを作ってみせた通り(あんな狭いところ工夫のしようもないので)建ててくれた、僕のおじいちゃんのお弟子さんの話を思い出しました。
内輪ではSちゃんと名前で呼ばれていたその人が…おじいちゃんが神輿/みこしを作っている時…盗み見しようと思っていたところが…
肝心な所に差し掛かると親方は私に用を頼むんですよね、、ついに仕事ぶりを見せてくれませんでした…と、仕事が一段落して、お茶を飲んでいる時、苦笑いしながら母と僕の前で、話して聞かせてくれました。
仕事は盗むもの、と職人の仕事の相場は決まっていたようです。親方は仕事ぶりをそれとなく見ていてその腕もお見通し…これまたよく聞く話です。
幸田露伴の五重塔を思い出しながら楽しく読み進められました。
この本、図書館のリサイクルコーナーに多分一般の人がポンと置いていった本でした。こんな出会いもあるのですね。
山本周五郎の「さぶ」もう経師屋の話ですし、海音寺潮五郎にも刀鍛冶の話があったと思いました。
職人伝の本を集めて四つ木御殿に置くのも面白いなと思いました。
親方のところに小僧の自分から奉公して独立するときにはそこそこの用意をしてもらって独立するなんて悠長な時代があったと聞いています。
独立すればまぁ一生食べていける仕事…左官仕事などもそうですね。
さっさと建ててしまうプラモデルみたいな工法が、あっという間に年季の入った手仕事の職人の仕事を駆逐してしまいました。
経験した事は感覚として残る。
この当たり前のことが、一見単調に見える繰り返しの仕事の中で磨かれてゆく。
仕上がった作品にはそれを成し遂げた人の息吹がこめられている…そんな仕事今だって憧れていいはず。
白状しますと…僕にはモダンアート、モダン建築がよく解りません。
面白い光の取り入れ方だなぁと感心したり、建築全体のスカイラインまで考えられた美しさは説明されれば理解できる。
いろいろな材質の材料も豊富になりそれを使って自由な曲線や直線も表現力も豊かになりあっと驚く形態さえ表現できる。
電飾がきらびやかに幻想的に渦巻く世界。
なんだあんなもの。一時しのぎの気休め。そこにいてその場所と語り合ったことは何だ、、それが問題だ。
空調の効いた部屋で便利グッズに囲まれて快適さを感じる今の若い人たちについて行く体力がない。
ついて行きたいとも思わない。たまにそこに浸るのは面白いかもしれない。でもそれだけのことだ。
はい今日はここまで。
これをじいさんの繰り言という、、あはは🤣
職人伝ではありませんが、全国の伝統的職人を紹介した文庫本を持っていますが、今日本にあるので題は忘れました。土佐の職人の話もあって、鉈だか、何か刃物を作る人でした。90年代のことだと思うので、その多くはもう消えているかもしれません。
石工というのは未だにドイツ(多分他の西洋国でも)重要な仕事です。マオラー、英語でメイスンです、そう、フリーメイスンのメイスン。他に屋根職人や窓作り。私の住む地方では、ちょっと飛騨の白川郷に似た家屋が多かったのですが、それを修復する技術が無くなって(多額の費用が掛かるので、敢えてそこまではしない)、周りの風景にそぐわない無味乾燥な今風の家が増えています。
私としては、マヨルカだのニースだので長い休暇を過ごし、ベンツやアウディの高級車に乗るお金があるなら、なぜ先祖伝来の家をきちんと修理しないのだ、と思いますが、これも婆さんの繰り言です。