5月8日(水)
今日はまた水泳の話題です、水泳を通して世間を勉強してます。
以前にも増して、プールで知り合った人から機会をとらえて水泳についていろいろ聞かれるようになりました。
もちろんわかる範囲でお答えするのですが、僕が答えあぐねていると…もしかしたらこうですか?あーですかとか先方からいろいろ工夫して質問する人と、ポイントだけちゃっかり要領よく質問する人とわかれるような気がします。
ポイントだけお話しするともうそれで充分みたいです、、はい、はい、後はいいです、ありがと、、。
どちらにしても上手に泳ぎたいという所では一致している。
テクニックだけが知りたい。
楽にゆっくり長く泳ぐためにどうするか…が僕のテーマなのですがそれについて聞いてくる人はいません。それが速く泳ぐためのコツにもなる…というのが僕の仮定なんですけどね、、
毎回いろいろ質問してくる方もいらっしゃいます。その方には僕のテーマをお伝えしているのですが…伝わっているとは思えません。
僕は伝えるのが下手なのかなぁと思います。
あなたのテーマはなんですか?と伺ってみると…あなたのように泳ぎたいという返答です。
(自分に合った泳ぎが一番という返答は飲み込みます、あっ、教える気がないんだなと受け取られてしまいますので。
聞かれる事は面白いです。その質問を楽しんでます、へーそういう質問の仕方もあるんだと、目からウロコがはがれる位の勉強になることもあります)
あなたのように泳ぎたい…こう聞いても僕がいい気にならないのには理由があります、、一流の選手の泳ぎを見れば…素人は素人、トップスイマーとは全く別物。
僕の経験した狭い範囲でのことを話せば…例えばトライアスロンのタイム、、トップ選手の倍のタイムで上がれれば市民選手の中ではかなり上位に入れる、、それほどの開き。もうお話にならないほどの差。
テクニックで解決がつく問題ではなくても、やはりテクニックを皆さん求めている。
インストラクターの個人指導を受けたり集団指導を皆さん受けてらっしゃるようです…それでも質問してくれるという事は、、気になる泳ぎなんだろうなぁと、それはそれでうれしい。
簡単に言うと、、ゆっくり楽に泳げるとスピードのコントロールも水のキャッチも楽にできますよ、、というのが僕が考える水泳のポイント、コツなのですが…言葉通りに聞いて実践する人は少ない。
人の振り見て我が身を直せ…多分僕もそういうところがたくさんあるのかなあと思いました。
たくさんの経験が違う経験を取り入れる時邪魔になるということもある。
プールが空いているときに僕はたまに昔…抜き手、ノシなどと呼ばれていた泳法を確認します。
皆さん見ているだけで真似してやる人はいなかったんですが昨日抜き手を練習している人がいました。
ちょっと嬉しい。
そうだ、僕はプールの点景になろう、先方が勝手に想像しているちょっと面白い変わった人で居よう。
僕だってそんな人に会ってみたいもん。
もしかしたら深層心理で僕もそれをずっと目指してきたのかもしれない…目だちたい、、僕の昔の友人が言っていた、自己顕示欲が強い、、そうなんだと思う、岡目八目。
でもまぁ…それぞれが自己流の泳ぎでマイペースで楽しめればそれが一番。
少しずつでも上手くなっている感覚が持てればなおさら長続きする、、僕もそうですし。
要するにみんな水泳に楽しみを見つけた人だ。これが貴重。
水泳を通して会話がはずむ、もしかしたらこれこそ肝心なことなのかもしれない。会話は脳の血流量を最大限に増やすとか。
筋肉のつき方も運動神経も人それぞれ、柔軟性も然り。それぞれが自分に合った泳ぎを見つければいい。
それが楽しければそれでいい、とプールに2年近く通ってみて感じます。
プールの水につかり、お風呂のお湯につかりっているだけで、体は非常事態を感じ、免疫力が高まり、、その結果体全体のシステムを活性化されること、それが最大の効用かもしれません、水泳はそのついで。
肝心な事はいつも最後にわかる。
(テクニックの時代なんだなぁと大げさに考えてしまいます。もう行き着くところまで行かなければ気がすまなくなっている。テクニックで解決する時代。テクニックやテクノロジーで進歩を実感する。まるで進歩はそこにしかないように。
翻って…水泳でもそうだ、この文章を書いてから…本当のところはテクニックではなくて水に遊んでもらうことの方が肝心なような気がしてきました、母親の羊水の中にいた時の記憶を求めて、、あっ🤭朝っぱらからちょっと気取りすぎ😅)
知り合いの子が幼いときからバレエを習っていて、自宅でそれを練習する様子を見ていても、とても上手なんです。それならバレエのプロになれるわね、というと、「とんでもない、上手な人は私なんかとレベルが違います。その人たちを見ていると、プロの踊り子になるなんて夢だと分かります。」と言っていました。シロウトとプロの間にいて、両方分かるって結構辛いかも、と思いました。まだ15,6歳でそういう自分の限界を悟るのも、悪くないでしょうけれど。
さて、自己顕示欲の話、見られたい心理の話ですが、これについて最近面白い本を読んだばかりです。題は泉鏡花の「海神別荘」、聞くところによりますと、この作品が歌舞伎になってそれが映画館で上演されたんですって。知らないストーリーだったので青空文庫で読んでみました。
ある美しい漁師の娘が海の幸と引き換えに「人身御供」として海に沈められる。それを求めた海神公子は彼女を娶るつもりで、命を要求したのではありません。かくて美女は千尋の海底の海神別荘に連れて来られ、命があることに歓喜するのですが。
以下、そのやりとり。
美女 嬉しい、嬉しい、嬉しい、貴方。私がこうして活きていますのを、見せてやりとう存じます。
公子 別に見せる要はありますまい。
美女 でも、人は私が死んだと思っております。
公子 勝手に思わせておいて可いではないか。
美女 ですけれども、ですけれども。
公子 その情愛、とかで、貴女の親に見せたいのか。
美女 ええ、父をはじめ、浦のもの、それから皆に知らせなければ残念です。
公子 [卓子(テーブル)に胸を凭出す]帰りたいか、故郷へ。
美女 いいえ、この宮殿、この宝玉、この指環、この酒、この栄華、私は故郷へなぞ帰りたくはないのです。
公子 では、何が知らせたいのです。
美女 だって、貴方、人に知られないで活きているのは、活きているのじゃないんですもの。
公子 (色はじめて鬱す)むむ。
美女 (微酔の瞼も花やかに)誰も知らない命は、生命(いのち)ではありません。この宝玉も、この指環も、人が見ないでは、ちっとも価値(ねうち)がないのです。
私これを読んで、常々自分が当然だと思っていた「人知れず生きる」ということについて考え込んでしまいました。