昨日兄の所へ向かう道のりで暇つぶしに文字を並べて遊びました
冬枯れて欅箒の先の先
冬枯れや細き梢の先の先
冬の朝灯ひろう電車窓
スマホ横冬移りゆく朝さやか
冬の朝車列の赤灯道の川
電車窓遠く灯川渡る
朝まだき車中の温み外の寒
電車待つ働き者の冬早朝
自分をも欺く人のいまは冬
まどろみの続きは車中冬列車
まどろみの続きは車中冬の駅
一直線通過列車の冬の闇
赤青黄シグナルの朝今は冬
以下スマホのメモから
冬さなか春待つ気分ファミレス店
新しきガス台迎え冬キッチン
いろいろな夜中を過ごす冬半ば
縦横に飾る本棚冬緩む
縦横に並ぶ本棚冬緩む
夏うちわしばし見つめる冬半ば
陋屋の路地のさざんかただ静か
上げ板の冬を重ねし年季かな
冬ごもり夜中におなら久しぶり
北風が春を迎えに背中押す
襟立てて北風過ごす空見やる
北風に背中押されて冬半ば
有明のクラゲの如き月寒し
下弦に向かう有明の月が1人でのんきにでも少し寒そうにしていました
有明の月はクラゲか1人寒
有明の海月(くらげ)の如き月真冬
親鳥を海鵜見送る冬陽かな
喜寿近く年玉もらって兄に礼
観音が宿りたまえと堂の寒
(びすこさんのブログに礼拝堂の写真が出てきて…そこに居合わせたような気もしてきたので風景をお借りしました)
以上
そろそろ月例の春硯さんの句を拝見できるかな、と思っていたら、お休み中のはずのフォーラムに句集「山茶花」が。この花は詩にも句にも短歌にも、そして演歌にもなり、秋の彼岸花と並んで文芸(言葉を対象として楽しむ世界)の定番ですね。
列車の中の暖かさ、懐かしいな。寒い駅で足踏みしながら待って暖かい列車に乗った途端眠気に襲われる。うん、私もこれから一句考えよう。現役時代を思い出して。
キッチンという言葉が出てきて面白いと思いました。高浜虚子の全盛時代、女性が多く俳句の世界に登場するようになりますね。虚子の句の評はともかく、この人が当時の文芸好きあるいは文才のある女性たちに門戸を開き創作を奨励した功績は大きい。ただ、当初は女性の活動の場が限られていることもあって妻・母の視点で家庭・家族・家事を詠んだものが多く、一部の男性から「台所俳句」と揶揄されたようです。
それが今は男性がキッチンの句を作る。しかも自分で改修した台所。女が自由になったことばかり話題になるけれど、こういう男の解放もあるのだと時の流れを痛感します。
月をクラゲに譬えた句、なるほどです。あのユーモラスな姿はドイツの山国の人には説明できない。ほんの最近、寒蜆という言葉を見て、30年前に(仕事で)島根県に行き、蜆で有名な宍道湖の近くの玉造温泉に泊まったことを思い出しました。それでちょいと作ってみたのが
・湯に入りて思ふ湖底の寒蜆
その年齢で誰かからお年玉貰えるなんて、何という幸運。私、子供の頃からお年玉を貰ったことってあんまりないんです。母親が親戚中と「お年玉のやり取りはなし」という協定を結んだので。それでも一人だけ毎年たくさんくれる叔母がいて、貧乏なのに申し訳ないと思いつつ受け取っていました。後年、彼女が60歳を前に亡くなって20年近く経ってから、その3人の孫たちに利子もしっかりつけてお返しをしましたけれど、叔母の優しさへのお返しはできていません。
こちらはこのところ雪の日が増えました。でも昔に比べると降雪量はずっと減り、雪掻き車の登場は稀です。
・不機嫌な雪掻き男を労ひぬ
葛飾の町の暮らしとは対象的な田舎に住んでおり、こちらの家の外は針葉樹だらけで、大木が揺れる様子は見ものです。
・星消えて樅山風の為すがまま