お昼、近くの蕎麦屋に行った。僕が入ってから二組位の客が入ってきた。出て行く時もそれ以上客が入ってこなかった。夕方銭湯に行った。銭湯は平和だ。いつもはサウナに入って出てくるのだがたまたま満員(といっても今は間を空けて入っているので4人で満員)湯船にもう一度入り(いつもは1回だけ)水のシャワーを浴びて出てきた。周りは大体見覚えのある顔ばかり。目が合えば軽く会釈する。
昨日も飽きずにアンクルトムズケビンを読んでいた。アフリカから労働力として引っ張ってこられた…第1期生?から世代が進み、アメリカで生まれた生粋の奴隷は普通に英語を解し主人達と会話する。宗教的にも制度的にも奴隷制度の存続が(既成事実にも守られて)守られている地域でもまだらに反対論者が存在する、小説の舞台設定は大まかにそうなっている。僕の頭の中は奴隷制度の報告書のような本を事前に読んでいたのだが、それはそれとして…半分近くまで読み進めた小説全体は映画を見ているような印象で、生き生きとした会話とドラマチックな話の流れと女性ならではの生活の細かい描写にうなったり、ワクワクしたり、奴隷の身の苦悩に胸が詰まったりして忙しい。
この本を読み始めたきっかけが…黒人たちの間でささやかれている…アンクルトムのような奴…が白人におべっかを使うやつという悪口になっているのが気になったからだということを思い出した。見当違いもいいところだ。その時代の背景とその時代環境に生まれて、否応なく形成される時代の風潮、圧力を無視して都合よく今に引き寄せて解釈する、本当にこういうことが多いなぁと思う。歴史上の人物たちが今もずっと生きていたとしたら何を言うか想像するだけでそういう勘違いは簡単に回避できるのに。
今日は軽くパンとスープで朝食を済ませ昼は青砥で兄と会食する。日記を書いているつもりはないのだがこれはもう日記だ。赤裸々の日記ではないけれど…あららの日記くらいには、、あ、そのうちタイトル変えて「あららの日記」と言うのを環境の変化によっては書いても面白いかもな。
「おわってもいいころな」のタイトルは僕が最終の第4コーナーを回っている人生とこのコロナ禍時代?の終焉(この場合は終わりの始まり)にかけるつもりでつけた、ま、飽きるまで続けてみよう。今日も特に書く事は無いと思ったけど書きました、単なる癖ですね、あはは。
能力を開発する場があったと思います。商家なんかでも自分の子供が商才がないと思えば使用人の中で見込みのある者をどんどん登用した、つまり家督を相続させたと読んだことがあります。他所から引っ張ってきてでも養子縁組をしたり…人の流動性は高かったと思います。あ、人の流動性は僕のテーマでもありますが、親戚家族といえども身びいきはそこそこにして人の見定め方は…とても近代的だったと勝手に思っています。