昨日、ディケンズの「骨董屋」朝から読み出す。狭い家の中を少しでも涼しい場所を見つけて本を読み進める。お昼まいたけにかぼちゃ茄子を入れたスープでお腹を満たし午後遅くやっと本の先が見えてきた。
詳細な主人公ネルの最後の描写、ネルと旅を続けた認知症?の老人の最後が新聞の3面記事のような淡々とした語り口で綴られて行く。洋画で言うと最後の長口舌。かったるいようなこの説明でこの長編小説の「歴史」が語られ、登場人物の行状を確認するような塩梅となり小説全体の印象が明らかに浮かび上がってくるような仕掛けが見えました。常套手段かもしれないけれど、、その効果に、恐れ入りました。
夜暗くなるまで物干しでニシンの菜の花漬けとさつま揚げでビール飲んで涼しくなったので土手に行って階段の上り下りしようと思って立ち上がったけど…お手洗いに行って…土手行き、やめました。とても良い1日だったなぁと思いました。時間の感覚を忘れる?少しの間本の中でクロスした…今、スコシノアイダホンノナカデクラシタ(今少しの間本の中で暮らした)と音声入力したら…クロスした、と出た。本の中で暮らすと言うのはいくらなんでもまったく大げさすぎて、ばかみたい、、ちょっとクロスした、でいいや。
この7月日本中に僕の知らない悲しいことがいっぱいあったと思う。うれしいこともいっぱいあっただろう…もう僕の7月を忘れ始めている。それでいいや。また8月15日がやってくる。8月15日が特別な日と「思い出す」(実際に体験していなくてもこの言葉を使いたい)最後の世代が僕らかな。野間宏の「真空地帯」が日本のあちこちで起きた実話であると「体験」できる最後の世代?まさか。
去年の春だったと思いますが、コロナでドイツに帰れなくなって少しばかり意気消沈していたとき、昼間の再放送のサスペンスドラマで、不治の癌に罹患した主人公が友達への手紙にこう書いていました。
「朝起きて洗濯してお掃除して、花を飾って好きな本を読んで、とても幸せな日々・・・」
そうだ、これ私も全部できるんだ、と思って気を取り直して一日を過ごすようになりました。お洗濯は毎日しないし、お掃除も週4回か5回(それもお掃除ロボットを使う、これがとても可愛い坊や)、でも花は冬場を除けば庭に何かしら咲いてる(この季節だとユリズイセンが終わったかな)、そしてもちろん毎日読書!!
お話(フィクションつまり作り話)が好きなのは女性の特徴かなと思っていました。男性にもファンがいて嬉しい。そりゃそうよね、物語の書き手は半分以上は男性ですものね。