2度に分けて本箱を作る棚板、ビバホームから運んだ。
それだけですっかり汗ばんで体拭いて雑用済ます。Nさんに、寄稿してくれた原稿を縦書きにしてプリントアップし手紙にお礼とともに認めて投函。Aさんが見つけてくれたギターのコードのタブ譜をこれまた印刷機からプリントアウトしてメンバーの分だけコピーを取り自由の庭のポストに投函。これだけで、もう一仕事済んだ気持ち。ちょっとほっとする。
ブルーインパルスが見られる時間に面白そうなので土手に出てみたら…避難橋の上、土手の上ワンサカ人が出てました。土手に立っている人たちがきれい。土手に立つ人たちをちょっと離れた所から見ると本当に一人一人がくっきりと影絵のように浮かび上がる。綾瀬川と荒川の間に作ったこの土手は本当にそういう土手、そこに立つ人を一人一人際立たせる場所。ジョギングする人犬を連れて散歩する人自転車をまっすぐにどこまでもこいで行く人みんな本当に美しい。みんなそれを知っているからブルーインパルスが通り過ぎた後もなごりおしくてそこにいるのだ。
ブルーインパルスの残した飛行機雲とおぼしき跡が見られたので名残おしさと久しぶりの人いきれに接しにその場所を動かない人々を後にさっさと帰ってきたらソーイング教室が始まっていた。
ブルーインパルス気にする風でもないNちゃんとエチオピアの男女の方が縫い物をしていた。
プール行ってきますと言い残しプールに行ってみたら満員で入れません。説明を聞いてもよくわからない整理券を手にしてテントの下の椅子に腰かけて遠くを見るような目をしていたら…近くの女の子が僕のその仕草を見ていたらしく…さりげなくその番号の整理券では入れそうもないことを示唆してくれた。じゃあ帰ることにしますと言い残し入場は断念。
土手でのんびり自転車で通り過ぎる時、多分高校生の陸上部の男女がゆるいアスファルトの坂の直線距離50メートル位を次々に全力疾走していた…人間じゃない、この炎天下の中何考えてんだろうと思った。指導者がいない。スタートの合図の代わりに手を叩いているのは男子生徒のマネージャーかな。荒削りのフォームだけどやはり全力疾走を見るのは面白い。だいぶ前に痛めた左足が少し治ってきたので足の負担の少ない芝生の上でまた少し駆けてみようと思った。歳を考えてアスファルトはやめ。
夕方ソーイング教室が終わっていたので夕食前に本箱を作ってしまうことにした。柱を利用して棚板を作るようなものなので1時間ちょっとで出来上がった。満足。北洋材をそのまま生かすことにした。さてと中身の本をどう揃えるかだ。これを考えるのはとても楽しい仕事だ。やはり戦後からの本を10年刻み位で揃えていきたい、と思った。僕は2、30年前の本を読むのが好きだ。今の時代を読むために…ちょっと昔を振り返る、これが最近の僕のスタイル。福祉関係近未来歴史…いろいろな仕分け方と傾向はあるだろうけれども冊数が限られているので…分り易い傾向を提示しよう。やはり独断と偏見でなんらかのカラー?を出した方が面白いと思った。年代別にしよう。エチオピアのコーナーを作ろう。というかアフリカのコーナーかな。
夜、コンビニのお弁当食べながらビール飲んで久しぶりにテレビをつけたらオリンピックの開会式、延々と各国の選手の入場場面。Eチャンネルつけたら文楽やっていた。曽根崎心中…心中の場面に一気に引き込まれる。人形なのに、というか余計なもの、ノイズをそぎ落とした人形だからこそ、そこにこもる最後の心の揺らぎ、決意、手に取るように伝わってくる。1人の人形に3人もの演者の手がそれぞれ独立していながら共鳴していく凄みを感じた。
その後ずうっと、うとうとしてしまってオリンピックの開会式にチャンネルを戻す。王長島松井が、聖火を次の人に伝え最後に大坂なおみがスタジアムの聖火台に火を灯した。ほとんど関心のなかったオリンピックだけれどいつもの荒川土手の老若男女の影絵の中の人々と、かすかに残るブルーインパルスの飛行機雲がいつもの僕のつっぱりをポンと外していってくれた。
人形芝居のような暮らし。こんな暮らしもいいなぁ、、ってどんな暮らし?。人形芝居が現実の暮らしとシンクロしているようなそんな暮らし。結構ドキドキするんだなこれが。
オリンピックの開会式に本棚ができたのも何かの縁。後は陸上の短距離走見れば僕のオリンピックは終わる。
目が見える限り少しずつ読書は続けていこう。17歳の夏に…ドストエフスキイのカラマーゾフの兄弟に出会った読書は73歳の僕につながった。小さな本棚がこれからの僕を少しずつ変えていく…読書の旅…僕は旅をしているんだなぁ、なんちゃって。
(若い人がいろんなこと言ってくれる…メーターが振り切れちゃった人、一昨日来た2人の男の人はNちゃんに…僕のことをサトッテル…とか言ったとか、そんなバカな…わかっているのはただ1つみんなと同じ死ぬまで生きてる、あはは🤣)
開催地の日本を本当に意識した素敵な色だと思いました、湿気の多い日本の夏にもぴったりな色ですねこれをデザインした方はさぞかし名のある方だと思います、当てずっぽう。あはは。
これはあぁ不用意に着られる服では、ないと思いますね。つまり着物の方で着る人を選ぶ。この帯を締めるときは覚悟を持って締める、日本の色だと思います。
写真忘れた。ついでに利休鼠の着物も。
ついでだからまた無駄話、聞いて。(毒食わば皿まで。私この諺好き。)
ドイツチームが開会式で着ていた制服(写真参照)。
こちらではその色をミントグリーンと呼んで「開会式の色かよ」と貶しているけど、うちの庭に生い茂っているミントはこんな色じゃないんですよねえ。それよりこれ、ユーカリの緑に近いんじゃない?
と思ったのですが、これは日本でもわりと見かける色です。えーと、これ、そうだ、利休鼠!!利休鼠にもヴァリエーションがあって、これは淡口。
利休鼠のユニフォームっていうとちょっと素敵に聞こえません?いや、そりゃ変だ、って?
ユニフォームには似合わないかもしれませんけど・・・この色の着物、色無地のセミフォーマルな和服として結構着られるんですよ。利休鼠って表現、ドイツで流行らせたいな。利休様も喜ぶと思うな。
いやよくいろんなことをご存知ですよ白状しますけどほとんど判りません、いったい僕はどんな暮らしをしていたんでしょうか?
オリンピックの開会式に関してのコメントを追加。
まったく見ていませんでしたが、夜も更けてこちらの反応を見たら、ドイツチームのチンケなユニフォームへの批判がメチャ多かった。ディスカウント・ショップで買って来た服みたいでみっともないとか。私はさほどひどいとは思いませんでしたが、ぺらぺらのベストがちょっとなあ。
それより、ドラクエのテーマ曲(ロトの何とかいうの。ロトってソドムの町を逃れてきたお爺さんの名前じゃないの?)やファイナルファンタジーの曲がえらく評判がいいので、へええ、と(初めて)聞いてみました。ドラクエなんか本格的な交響曲じゃありませんか。驚きましたね。そういうのを全く知らなかった自分の方が驚きといわれるかもしれないけど。(80年代はそれどころじゃなかったんです。)
一番驚いたのは作曲者が「すぎやまこういち」とあったことで、いくら無知な私でもこの人は知っていますよ。ザ・ピーナッツの歌なんかを作曲してなかったっけ。一時はテレビの歌謡番組なんかでわりとよく耳にする名前でしたね。この人がドラクエのテーマ曲??しかも聞けばあなた、今は御年90歳というではありませんか。これはもう、オリンピックのメダルよりすごい。
浦島玉子の感想文です。
ブルーインパルスと聞くと思い出すのは米海軍のブルーエンジェルス。あれは1975年、デートの相手と映画を見ようということになり、銀座・日比谷辺りを歩いていたらブルーエンジェルスの映画の看板が。私はそんなの興味なかったけど、相手が見たいというので付き合って見たら結構面白くて、それからアクロバット飛行に興味を持つようになりました。
アクロバットは自分ではもちろんできないけど、あのスリルがたまらなくてわりと最近まで遊園地のジェットコースターの追っかけやってましたよ。神戸のポートアイランド博覧会で自由落下だか無重力だかの乗り物も試したし。最後はラスベガス(出張です、もちろん)。そのあとは年齢を考えて止めました。心臓麻痺を起こすと大変ですから。
20年・30年前の本を読むの、私も好きです。問題は字がとても小さいこと。最近は団塊の世代がマーケティングのターゲットだから本の字が大きくなっていてあり難いですが、30年前なら私たちも40歳前後で細かい字も読めましたものね。
たまたまこちらにオルテガの「大衆の反逆」をもって来ていて、全然覚えていないので2か月ほど前にちゃんと読み直そうと広げたら、字の小ささにノックダウン。でも悔しいから、亭主の大型虫メガネ片手に終わりまで読みました。だけどそれもまた忘れちゃった。