自由の庭であしたの会の活動由来につながるカレーとかピクルスとか…ついでにお花も売ってたのでクチナシとか桔梗とか分けてもらった。家に戻るとエチオピアの人たちと日本の人たちが狭いところにワンサカ集まっていた。僕は賑わいを後に銭湯に行ってサウナに入って戻ってみたら何やらパーティーが始まっていた。誘われるままエチオピアのパン、インジェラにマグロのトロだとかタイの刺身とか挟んで食べた!醤油もちょっとつけていただくとインジェラのしっとり感と妙にマッチする。
2、3個ぱくついて失礼して、2階へ上がって、髪を乾かし(はげていても毛が残ってるので一応乾かす)お茶を飲んで本を読み出した(ディケンズの骨董屋の主人公の娘のおじいさんが治らないギャンブルにのめり込むやきもきする場面がなかなか頭に入っていかない)ところに子供の姉妹がやってきてギターだのキーボードだので適当に遊びだした。壊しそうになる(下の女の子がグー✊に握った小指側の手の腹でキーをガンガン叩き出した)とそこだけ注意して後は面白いので観察してた。小学校低学年のお姉さんがキーボードを適当にならし結構、様になってる。キーを叩きながら両腕をいっぱいに開いたり狭めたりして漸増減する音を楽しみだした!幼稚園児とおぼしき妹のほうはギターに夢中だ。一応鳴らし方を教えて、ほっといた。プラスチックの三角の爪代わりのピックを弦に擦り付けて妙な音を出している…あはは面白い。そのうちキーボードのとりっこなどしていつもの姉妹喧嘩を適当にやって妹の方が泣き出して、そのうち2人とも飽きて下に降りていった。
夜パーティー(多分新人歓迎会?)が終わってみんなが帰った後LINEで責任者の方にご馳走になったお礼のメッセージを送るついでにコメントをつけておいた。僕は子供の時からお祭りは遠くでお囃子の音とかをきくのが好きで参加するのはあんまり好きじゃないことをお伝えした。では好きなときに適当にご参加くださいとこちらが望むコメントが返ってきた。にぎわいを遠くで聞くのが好き…いまだに変な子供のままだ。
今は聞くだけではない…たった1人でもいい…何かを発信していれば受信してくださる奇特な人もきっといてくださる時代だ。
ギターを練習し始めて10日になる昨日あたりから雨垂れ式を離れて少し音符通りにG線上のアリアの楽譜を読み始めた。こけおどしのような場面は少なくゆったりとしたメロディーラインが波のように繰り返されて終わる。厳粛なんだけど強迫とは無縁のゆっくりたっぷり引き延ばすパイプオルガンの音が聞こえてきた。夜寝る前にも音符を目で追ってみた。効果的な短音符の使いどころが素人目にもはっきりわかる。場面の切り返し、こんな初歩的な事でもわかればもちろん楽しい。はじめての経験は楽しい。長生きはするもんだ。
(不思議だ、今ちょっと思い出しながら書き始めた昔の童話でバイオリンを生まれて初めていだいた楽器から聞こえてきたのは昨日聞こえてきたバッハの曲だったような気がしてきた、、、耳を澄ませば、遠くの方からたゆたうようにしてかすかに聞こえてくる音、それは連綿と繋がる犬の系譜、と当時、もっと童話っぽく書いていた、僕はちっともかわってない、それはそれでいいや、ナルシスト)
ほんとほんと、誰が決めたんでしょう、もっと言えば…子供が大人になるって誰が決めたんだろうってさらに思います、子供のままに育って、褒められたり、けなされたり、そこいら中ご都合主義だと思います🙂あ、わかりにくいですね…大人でもわがままぶりが子供並み、または、純真すぎてカマトトと言われる? あ、すみません…うまくいえませんでした、ガキはこのぼくでした😅