昨日午後から自由の庭で催し物があったのでちょっと顔出した。ごーぎゃんさんはここのドンだから、いつものようにニコニコしてらした。久しぶりにペガサスさん、あさこさんに会った。ことりさんたちとニ階で少しおしゃべりした。ちょっと口をきくだけでなんかほっとする。ぼーふらさんとスマホの音声入力についてあだこうだ少しやったが、音声入力のアプリをダウンロードしたところでお手上げ。後はクレマチスさんに教わることにして別れた。高齢者ニ人があーでもないこーでもないとやるのは面白い。結局こうやって苦労して覚えたことの方が愛着がわいて良いほうに傾くんだと思う。僕らは嬉しいことに時間はたっぷりある(時間はあまりないと言う人もいる…無視する)。
今寝床でこの文章を音声入力している。目が覚めたらふと父のことを思い出し四方山話に聞かせてくれた父の言葉を思い出したから書き留めておこうと思ったのだ。
父は若い時、ちょっと哲学に凝ったとか。遊び人が哲学にかぶれるとどういうことになるかと言うと…俗世間から距離を取ることを考えたらしい、あはは。住む場所は俗世間からそんなに遠くない数百メートルの山の中。考えたのは一時的なもので…ちょっと遊びで暮らしてみるとなるほど頭の中がすっきりして世の中のことがよく見えた、と言ってました!?(世の中のこと甘く見ていますね)。それから、僕と同じですぐ飽きて、がらじゃないと我に返り、降りてきて、またプラプラしていたのだと思う。たまに働いたかもしれない。すぐ上に資産管理の良いしっかり者の兄がいて…多分お金がなくなると無心していたのだと思う。年取ってからも僕にとってのおじさんは父のことを〇〇ちゃん〇〇ちゃんと親しんでいたところを見ると兄弟気があっていたのだと思う。祖父の借金(連帯保証人のつけ)のカタに家が取られそうになったときにお金をだしてくれたのはこのおじさんだ。このときはさすがに父も頑固な四角い顔から涙を流さんばかりに感謝していたことを思い出す。
あ、話を戻します。結局父が僕に言いたかった事は…人は一人では生きられない…面白くない…そんなところじゃなかったかと思う。それ以上のことを伝えたかったとは思えない、のんきにみえてある意味真面目な父を最後の最後には認めた母のことも思い出した。人って素敵だな。
(昨日は亡くなったW先生のことをあーでもないこーでもないと一日思い出していた。ちょっと弱気になっていたとは言え、長身で二枚目は変わらず、結局直前までそばにいて差し上げられた事がよかったなぁと思いました。20歳近くの歳の差を超えて、教え子たちとの思い出、同僚の外国人英語教師との思い出、、、中でもぼくが仕向けて、特に恋愛談義が多かったのは、若い時モテモテだった先生のお話に嫌味がなく洒脱だったからだと、、既に懐かしいです)
3年位前、中学の国語の先生の米寿の祝いをするというので、母の3回忌で帰る予定だったので、故郷鳥取に帰り、出席させてもらいましたが、その先生は熱血先生であり、授業は面白く、とても人気が高かったので、教え子がそんな会を開いてくれたと思のですが、とにかく話が面白いので、生徒が話を聞きたがるのです。
その面白い話を聞きたいために「先生、勉強するからはなしを聞かせて」と頼まれたようです。
好きな人の話を聞くのは本当に面白いものですね。そのしゃべり方のイントネーションとか、間とかいろいろ混ざって味わいがあるように思います。