(在庫一掃、蔵出し記事です、運営側システムの何らかの事情でアップできなかった分です)
7月31日(月)
「人間にとって貧困とは何か」
西澤晃彦著:放送大学教材2019年3月第1刷
書いてある内容にため息をつきながら何とかついて行く。
衣食足りて礼節を知る。住むところと食べるものがあって身を守る衣服があれば、高望みしない代わりにのんきに暮らせる。たくさん稼ぎたい人は知恵とアイデアで思いっきり稼ぐ。稼いだお金をどう使うかをみんなが見ている。その他大勢のそういったものの持ち合わせが少ない人は適当なところでのんきに暮らす。
のんきに暮らせば人生50年でも随分と人生は長く感じられるだろう。
今回読んだ本はそういうことには触れられていない。
本の題名の通り…貧困がつくり出す社会構造と人々の意識構造の分析だと思いました。人間が飽きもせず繰り返す過ちを分析する事は本当に大事なことだと思いました。
今、進行中でこれからも繰り返す人間の悪しき営みこそ学校で学ぶべきことだと思いました。あっ、それで放送大学のテキストになってるんだ、そういえば昔放送大学の老年学のコースを取ろうと思ったこともあったっけ🤭
こういう自分にとってごっつい本は本当に興味のあるところから読んでいくに限ります。第10章 貧困と老い 143ページから読み始める。読み進めるうちに「孤立化」が「効率化」に伴って進んでいるなぁと思う。家族からまず老人を切り離すために施設が充実していく(極端な言い方をしています)。
子供の教育に充分お金をかけられるか、かけられないか、によって差別化に拍車がかかる。差別化によって子供が社会に出た時の職業選択の範囲も決まる。
こうして階層化は進み管理しやすい管理社会ができあがる(これもまた、とても極端な言い方をしています)。
そんな世間の上部階層にいる連中は、他の階層に目配りが行き届きません。そもそも自分の中で合理化してノイズは無視。(極論承知)。
通読してつらつら思った事は…流通している金(カネ)の分捕り合戦…という構図では現在の資本主義社会を把握しきれないということです。
例えば金(カネ)の呪縛からちょっと離れてみるために…金ではなく衣食住の生活必需品(パイ)と読み替える。
次に目標とすべきはパイそのものを増やす。
すると次に何が起こるかというと(いつもの我田引水はすでに始まっています)やや卑下した言い方をすれば特に努力しなくても、パイが豊富なので、おこぼれにあずかれる、別の言い方をすれば衣食住がほどほどで満たされれば満足する階層を作る。僕は喜んでそこに入る。
これはかつて小泉政権のブレーンの1人が言っていた富裕層が儲ければ、それはいずれ貧困層に巡ってくるというトリクルダウンのごまかしとは違います(金は効率的に次の金を生むところに回されるので庶民には回ってこない)。
「金:カネ」の分捕り合戦ではないのです。「パイ」、つまりは生活必需品:パイ=衣食住における供給。ちょっと社会主義国家っぽい。この際、主義なんてどうでもいい、学者に任せておけばいい。
パイは社会インフラの一種と考え、衣食住の安定供給を図る。
貧乏人は麦飯を食えと上から目線で言うから、角が立つ(かつて、そう言って世間の顰蹙ひんしゅくを買った政治家がいた)。
葛飾区は安く暮らせる地域、これを全国区にする。お金をたくさん使いたい人、たくさん使える人はそういう特区に出向いて使えばいい。
精神構造はヒエラルキーに従って下部構造を構成する。自分よりも劣等者を確認して優越感を持つ階層と、もがいたり、あきらめる階層。もう、これを繰り返さない。貧乏人は貧乏人らしく堂々と生きる。と言って、清く貧しく美しくでは、とてもじゃないが若者はお腹が満たされないので納得しない。
現状のままでは、分断化は細部に及び、結果として世間が狭くなる。不満のはけ口が事件性を帯びる、または事件となる。
負のエネルギーを吸収する装置を作る必要がある。地域資源、インターネット経由で作る人的ネットワーク、収入を得るためのブラックでない働き場所の自作?、、言うは易く行うは難し。
(小さなことから始めよう。昔漫才師の人がこんなこと言っていたような気がする。
自己承認欲求が満たされる可能性は少なくても「確認」だけでも精神の安定には役立つ。僕自身がこれを確認済みだ)
マズローのいう「自己実現欲求」「自己承認欲求」は最後に来るものではなく最初に来るものだ。
子供には子供の立場ってものがある、というのは我が母の教えです。個人の努力を見守っている目利きの観客たれ、僕にはそう聞こえます。目利きの観客が少なければ芝居だって盛り上がらない、上っ面の刹那的な笑いのドタバタ喜劇が横行するばかり😜
生まれた時から手かせ足かせがはまっている。そんな時代のとりあえず「確認」作業の重要性、もっと見直されるべきだと思う。
例えばこの日記、誰も見ていなくても、もう1人の自分が見ている。1年分を振り返ることができる(300回、つまり1年分ぐらいのTo Doメモ(トゥドゥメモ=やること覚え書き)のとりあえずのゴールはもう先が見えている!わーい)。To Doメモは堂々巡りを防げる、、と期待しています、あはは🤣
(どういう世の中になって欲しいか、学者に尋ねるよりは、子供たちに聞けばいいと思いました。子供たちの頭の中の一部に強引に大人の言い分も含まれている。つまり学校教育の弊害の場面ではあるものの、子供たちの顔を立てるのだ、次世代を背負って立ってもらうために)
大人が子供たちの言い分を聞く。大人には、その義務があると思いました。なんたって子供たちは未来を生きる人たちなんですから)
今"The Journey of Humanity: The Origins of Wealth and Inequality"という本を読んでいます。著者のOded Galorはイスラエル人、つまりユダヤ人です。人間が地球に誕生して30万年、その間にどんな進歩をとげたか。今の生活レベルに達したのはほんのここ200年間のことで、それまでは「マルサスの罠」のために生活水準(つまり衣食住)も平均寿命もほとんど変わらなかった。では、どうやってその罠から脱したのか。
まだ三分の一ほどしか読んでいなくて、私はこれから著者が説く「不平等の起源」に興味があるので、そのうち報告しますね。