(在庫一掃、蔵出し記事です、運営側システムの何らかの事情でアップできなかった分です)
7月18日(火)
明け方にそよと吹く風熱予感
南北の戸を開け放ち風を通す、今日も暑く、熱く、なりそうだ、危険な夏
昨日のお昼にPさんが増税反対の手作りうちわを届けてくださった。ぜひ他の人が見ている前で使ってくださいと言われました…はーい。
お忙しそうだったのでお引き留めはしませんでしたがあまりと言えば愛想がないので…到来物の塩どら焼きをお持ちいただきました。人のもので義理をすます😅
昼飯に、なすの漬物でお茶漬けを流し込んだ後、読書。
44年前の本、著者38歳時の作品、ボストン大学を卒業して15年後に大学の寮暮らしを通して付き合ってた女性友達を訪問して歩く旅行記、、
遥かなるボストン(15年目のクラスメート)小西章子著:鎌倉書房1979年2月初版発行
当時のアメリカ…といっても、大学卒業後15年後、著者が昔を思い返し、再度訪問するアメリカ…
210〜 211ページ
私が知るその昔のアメリカ、ケネディー大統領下のアメリカは、好奇心と善意と生命力にあふれ、人々の表情にもっと明るさがあったと思うのは考えすぎだろうか。ケープ・カナベラルから人類の夢を乗せて、次々とロケットが打ち上げられていた。月には未だロマンが残っており、共産主義の毒牙から自由を守るのは、アメリカの務めだという、十字軍的ロマンも残っていた。
ドルは強く、ソ連の脅威はあったにせよ、アメリカ人もそして我々も、このアメリカの繁栄がいつまでも続くような錯覚を持っていた。この15年間に経験したことは、アメリカにとっては、過去200年の歴史の中でもかつてなかった程に、ショッキングなことであったかもしれない。
ベトナム戦争の敗北(アメリカ人は敗北とは決していわずに終結と呼んでいるが)で初めて事実上の敗戦を味わい、ウォーターゲート事件で、神格化された大統領と民主主義のイメージを地に落とし、大幅なドル下落で、自由主義諸国の絶対的リーダーの座を疑われ出した。
引用以上
そして、、6人の仲良しだった友人たちの15年後の足跡をたどる旅を終えた著者は221 〜222ページページこのように語る、、
一昔前まで、働く女性といえば余程才能に恵まれた人か進歩的な家庭の人、または貧しく共働きでなければ生活していけない人たち人たちであった。普通の女性は家でパイを焼き、子供を育てていればよかった。
私の6人の友の母親達でも、働いていたのはジャニスのお母さんだけ。それも奉仕活動としてパートタイムで病院の看護婦をしていた。働かなくとも、十分に稼いでくれる夫を持つということは、彼女等の1つの誇りであった。男性側からしても、外の冷たい風に当たることなく家事に専念できる奥さんを持つことは、男のプライドだったろう。
しかし今やこの中間層の女性達が大きく動き出した。高学歴化の波では社会に押し出された大学出の女性達は、受けた教育はただ子供の肥やしにすればよい、女は家庭に存り夫や子供につくすのが仕事、という今までの価値観を疑い出した。ベティ・フリーダン女史の言葉を借りると、「家庭の中に閉じ込められ、衝動買いで欲求不満を解決する主婦を大量生産することを永年もくろんできた大企業は、三十年一日の如く、「家事労働は創造的な仕事だ、女は家庭に存って初めて完成される」、と吹聴し続けた」しかし女達はもう乗ってこなかった。
子供たちの巣立った後のエンプティー・ネスト(空っぽの家庭)で為す術も無く老いてゆく自分の母親を見て、自分は違った人生を、と思い始めた。平均寿命も伸び老齢化社会が話題になる中で、どう老いるかも深刻な問題になってきた。その上、より大きな家、最新式電気製品、スポーツや旅行の勧め等、回りを見渡すと昔の何倍も、購買熱をかきたてるものが巷にあふれ、お金も次々と必要になる等々、その動機は様々であろうが、既婚女性の就職という問題は、たった一世代で当たり前のことのようになったのだった。
統計的に見るとアメリカでは共働きの夫婦は全体の42%にも登り、昨年一年だけで新しく100万人の妻が就職した。パートタイムで働く人々も含めると数字はもっと増えよう。
すると面白いもので、それまで家事に専念出来るのが特権だったこの階級の主婦達の間で、今度は家事に専念しているのは能無し、といわんばかりの評価が生まれ出した。「あなたは働いていないの?」という言葉の裏には「あなたは家事以外は何も出来ないの?」という意味あいも含まれるようになってきたらしい。
引用以上
半世紀近く前のこの本を読んでいてふと思った…子供たちの幸せを願わない親たちはいない…と思いたい(昔、塗装業を立ち上げる時僕が誘って僕の仕事を手伝ってくれた若い親方のことを突然思い出しました、、彼が言うには…自分が小さかった頃母親が…他の人に…自分に子供がいなかったらもっと自由に働けるのに…とこぼしていた、、と聞かされました。
親の何気ない愚痴を子供は大変な思いをして聞いている、そこに気がつかない親もいるということではあるのですが…)
たとえば今強引に(ここから、例によって、でたらめな言いたい放題が始まりますのでご注意😅ざっと聞き流してください)、、
子育てにかかる労力は30%、と、しよう。後の70%、つまり子供が成人した後の人生は自分のために生きる、としよう。先送りをしない、としよう。
女性たちはどんな生き方がしたいのかとても興味があります。
女性の生き方に興味を持つ男性たちも30%居るしよう。この30%の人々はどういう人たちか?こんなご気楽な考えを持つ人たちは多分切羽詰まっても働かないようなぐうたらな人たち、とでもしておく。
あ、その前に…その30%に意味を持たせるためにこんな話…
ミツバチの群れの中で何もしないミツバチが30%いるというのです…なぜ30%いるかというと…予備軍、働きバチが次々とこけていったときの、次の世代を背負う予備軍。
それを見習って人間にも余裕が必要だ。そのための予備軍。どうやって確保するか、それが問題だ。
忙しそうにしている男性が多いのでここは女性に一肌脱いでいただいて、忙しい男性たちに代わってその他大勢の、今は暇を持っている男性労働予備軍(元気な高齢者、きつくない労働なら健康と気晴らしのために仲間と和気あいあいでやったほうがいい位。昔と違って20年は余分に生きなければならない時代ですから。体がきつい人は頭を使えばいい。高齢者の知識は時代遅れどころかとんでもない財産だと僕は考えています。
高齢者自身が自分の持っている知識は時代遅れと僕は直接、何度も聞いていますが信じられません(時代おくれってどういう意味?経験が時代遅れになるということがあるんですか?)
女の人に手伝ってもらえば、特に男性高齢者は元気が出て社会の役に立つ!それが声を大きくして言いたい本音です。
(今日読んだ本の中身は織り込み済みです、どこに織り込み済みかと申しますとこれから書く小説の中に織り込み済みということです、そもそも今日取り上げたこの本は、小説の運びの上で主人公がボストンにある、ある大学に(本人の不始末を世間に知られないようにするため、なかば仕方なく、家族の応援で、というか父親の思惑で)留学することになり、そのプロットを展開するためにボストンあたりの大学の1960年代の雰囲気を知るために取り寄せた本なのです)
どんだけ僕は暇なのか、ということですね…
雰囲気がわかれば後は日ごろのマンウォッチングから状況設定に基づく小説っぽい体裁をでっちあげれば済むことです(小説をなめてる)。
三文文士が未来社会を描くのには意味がある…
未来社会は、そのシナリオを書く連中によって改悪される危険性があるからだ、、蟷螂の斧と笑われようと、頭の良い人たちの思うように世の中改変させるもんか!、、、あはは🤣
1980年代のアメリカではprofessional motherという言葉がよく聞かれました。専業母親ってことですが、これ、働く女性が増え始めたときに、家庭で子育てに専念している人が劣等感を感じたりいじけたりしないようにと作られた言葉みたいです。何とでも言い繕うアメリカらしいなと思いました。
1950~70年代の日本には「職業婦人」という言葉があって、これはダンナの給料で十分/何とか暮らしていけて、自己実現などに関心のない主婦から、働く女性に対しての、侮蔑的な呼称でした。小学生から大学生になっても、これはしばしば聞いた記憶があります。
日本の女性の大きな欠点は、女性が女性を支援しないことで、今もそれは残っています。教育も経験もある積極的な女性が増えている一方で、賢い女性がどんどん社会進出すると、家庭にいる人は自分が取り残されたような気がするのでしょう。
「職業婦人」という言葉はドイツにもあって、同じように悪口的なニュアンスだったそうですが、60年代にほぼ消えたそうです。日本より2,30年早いですね。