(蔵出し記事です、在庫一掃)
6月21日(水)
リサイクルで500円で買った家具にちょっと手を加えて台所に持ってきました…もうこれだけで気分がぐっと変わります。「気分を変えるためだけに」家具を動かしたり細工したりすれば日ごろの動線が変わるし、風景が変わるので効果的です♪気分を変えるために細工が必要と言うことだと思います。気分を変えるために多少の手間をかける、そんなことでもしない限り年寄りの気分はそうそう変わらない、僕の場合だけかも。
作り出した新しい環境は状況を迎え入れるために頭を働かせなければならない。こんなことでリフレッシュができるのならどんどん取り入れるべきだなぁと思いました。
昨日も最初だけ読んで読みさしになっていた本を読みました。
閑吟集(孤心と恋愛の歌謡):秦恒平著: NHKブックス425: 1982年11月第1刷発行
閑吟集は1518年秋に生まれた、と第1章にあります。応仁の乱からおよそ半世紀…武田信玄と上杉謙信もまだ生まれていない(9ページ略記)
「閑吟集研究大成」(昭和43年、明治書院) 浅野建二氏による一人の桑門(よすてびと)による仮名序「口訳」を孫引きしています。
13〜 14ページ
ここに一人の世捨て人がある。遠く富士山を眺められる地をえらんで草庵をつくり、すでに十余年の歳月を過ごした。松風の吹きそよぐ言うところに軒端を構えて、その風の音に和して琴を奏でたり尺八を伴侶として春秋の季節にふさわしい調子を試みる折々に、言うふしの小歌をうたうことを慰み草として、速やかに過ぎ去った過去の幾年月、都や田舎の遠い国までも、春は花の下に日を暮らし、秋は月の前に夜を明かして風雅な宴遊の席に列(つら)なり、共にうたった老いも若きも、今では半ば故人となってしまった昔が恋しさに、「柳の糸の乱れ心」と謡い出したのをはじめ…中略…詩経三百十一篇に似せて、同数の歌を集め、閑吟集と命名した。この趣意を少し草稿のはしにというわけで、余命の幾ばくもない身が、折しも幽かな光をともす秋の蛍を話相手として、月の光をたよりに記したものである。
引用以上
中ほどまで読み進め…ちょっと心ざわつくものがありました。あけっぴろげで意味深な男女の性愛について、声に出しても歌われたろうおしゃれな文句の数々、、
はっきりって経験不足が悔しい、悔しいけれど男女の心根は少しはわかる、それが我ながらいじらしい…あはは。
111ページの歌(311篇の95番)
夢の戯れ(たはぶ)いたづらに 松風に知らせじ 槿(あさがほ)は日に萎れ(しほれ) 野艸(のぐさ)の露は風に消え かかるはかなき夢の世を 現(うつつ)と住むぞ迷ひなる、、、中略…
「夢」を否定して、「夢」は夢、所詮「現(うつつ」ではない間違うなよ。そう誡めていると取るのが普通の解釈でしょう。けれど、「いたづら」に「はかな」いのは「夢」の本来、また愛と人生の真相なのだから、「現」の思いで、「夢」をひとかど批評しえたなどと思う方が「迷ひ」である。「夢」はやはり夢、「現」など実は実在しないのが現在(うつつ)の姿と見究め、「夢」に徹して生きいればいい、と、そういう主張も十分ありえたのが、閑吟集の「ただ狂へ」なのでした。私も「夢」派です。
引用以上
僕も結構若い時から「夢」派でした。本当に若い時から現実の頼りなさ…これこそ夢ではないかと言う考えにとらわれていました。
この本の最後の237ページに閑吟集255番の小歌が挙げられていました
人の心は知られずや 真実 心は知られずや
(ことりカフェさんにメロンのおいしそうなのがあるということで取りにお伺いしました…帰ってきてとりあえず半分やっつけました、あまかったです、もう夏はそこ
すくい取る滴るメロン夏といる)
応仁の乱って一口に言うけど、これかなり長かったんですよね。10年余り。私が室町時代にちょっとだけ興味を持ったのは、NHKの大河ドラマ「花の乱」がきっかけでした。日本有数〔?〕の悪女とされる日野富子を主人公にした話。遅く生まれた息子を幕府の後継者にするためのなりふり構わぬ奮闘もですが、彼女が財テクに長けていたという噂(?)も掘り下げると面白そう。でも、登場人物よりも、社会の様相が面白いと思いました。時代考証にもある程度はされていたはずなので、たかがテレビドラマ、とも言えないのでは。
その興味があったので、後日山崎正和の「室町時代」を読んだのですが、なるほどと思った箇所はいくつかあるものの、どうも記憶が心もとない。そのうち読み直します。