9月27日(水) 曇り時々晴れ予報
午前中いっぱい四つ木御殿の浴室の本棚の設置工事をしていました。背の高い木箱を2つ割にして、薄いベニヤの背板をタッカーで止め、本箱らしく仕立て、横に並べただけですが、壁に仮止めしてみると、それなりの雰囲気が出たので満足です。
作業中にパステル教室の受講希望者の方が訪ねてきました。場所の確認においでになったみたいでした。少しおしゃべりして安心なさったみたいです。
お昼近く約束通り洗濯機を業者が引き取りに来ました。
プールで軽く泳いでマルちゃんのちゃんぽん(スープと麺だけのものににんじん、キャベツ、ベーコンを加えました)を作り、そそくさと食事を済ませました。
来月、月末頃には兄の身辺もそれなりにとりあえずの中継地点(ショートステイ先)に落ち着いてくるだろうと見込み、美文字研究会9名の申込者にショートメッセージを送り、留守電の方にはメッセージを残しました。もしこちらの都合でドタキャンになった時はご勘弁、と謝るか友人に代役頼んで乗り切ろう。
兄を交えた家族LINEのほかに兄を交えないチームいちまるLINEを一昨日から作って、甥っ子の一人と甥っ子夫婦とで、ややこしい話は全てこちらのLINEで話し合っています。
兄を中心に、1年半かけてやっと連中と何とか話が通じるようになっていたのですぐにまとまれてよかったです。
ここ当分は本を読む気もせず雑事をこなしながら兄のことを考え、兄のことを考えるのに、亡くなった母の考えも、想像してみたり…結構忙しいです。
兄の人生最大の混乱状態を甥っ子たちに知らせていますがどこまで理解しているかわからないです。わからなくても僕がわかる範囲でくどい位に伝えないと何も伝わらない。わからないことは伝わらない、分かろうとしなければ。
若い連中のほうは、話が決まればまとまりは早い、悲しくなる位に。
兄がなんとなくでも…所々でもいいから感情的に受け入れる気持ちになってくれるように毎日のように家族LINEを通じて話しかけています…話の内容に直接答えてくれる事はなくなりましたが、読んではくれているようです。
若い連中(といってもいい年ですが)にとってもずっと先々まで後悔のないところまでこぎつけられるといいなとは思っています(希望的観測)。
(久しぶりに作業して体のあちこちの筋肉を使ったので関節のあちこちが痛い…使わなければ、長年使ってきた関節と筋肉といえども確実に、急速に劣化する)
(遅まきながら日記の効用をはっきりと意識できました。行動記録は意識の記録、とりあえずは自分の気持ちの整理ができます。
会社の総務日誌、業務日誌は僕もめんどくさいなぁと思って記録してきた経験がありますが…それって意外と大事だった事も今、分りました。
時間はかかってもわかる時が来る…来ないこともある
母は昔、入院するたびに軽い認知症症状が出るのですが…ある時思いついて… 30冊、つまり30年間分の家計簿を持ち込んだことがあります。翌朝、病室に入ると母の目がランランと輝いています。
家計簿の下の毎日の備考欄に細かい字で、僕の姉との、言い争い、確執が、びっしり書かれていたのです!
怒りの再現💢、もちろん認知症症状は雲散霧消❗️
兄も何年間にも渡る山行日誌を記録していたので、探し出してどさっと目の前に置きましたが開いてみようとはしませんでした。仲間に見せるためもあり、往復の電車賃、行程、時刻表の写しなど事務的なものが主で旅の感想の記録はほとんどなかったようです、ま業務日誌みたいなものに終わっていたのが残念です
もっとも、その頃から既に頭の混乱はうすうす自覚していて、それどころではなかったのだと想像します)
認知症選択科目にしたい秋
(兄からじゃんじゃん電話がかかってきます…耳が悪いのでなるべくLINEの音声入力で流してくださいと頼むとその都度、家の鍵のこととか、普段使っている杖が見つからないとか言ってきます。兄のストラッグル、格闘が手に取るように伝わってきます。
自分の気持ちに嘘がつけない、真面目一本槍で人の言うことをすぐ真に受けて信用する、僕を信頼して僕の言うことをしっかりとかみしめてくれる。世の中を渡っていくために、そんな呑気者は、生き馬の目を抜く現代では通用しません…
でも、、場面が変われば…全てプラスに変わります。不安感から何でも疑いだすと巷間言われている状況でも…言われたことを全て真に受ける兄の性格が現在の兄を救っている)
天高し雲がなければただの青
草陰におや彼岸花誰に咲く
お兄様からジャンジャン電話がかかって、あれこれと訊いて来たり訴えたり、という状況はよく分かります。ときどき朝の6時頃に電話があって(夜は8時に就寝するので)、親戚がD家の歴史を書くそうだから今の工場の写真を送れと言ってきたり、アメリカの親戚の娘の卒業式写真(そんなもの、誰が興味を持つか)を転送してくるなど、もうメチャメチャですねん。あー、ほんまに小姑には疲れましたわ。
50をゆうに過ぎて結婚した時、互いに年が年だから舅姑の問題がないのはありがたいような、でも寂しいような、などと言っていたら、もう到底寂しいなんていえる状況ではなくなりました。これが夫の母親なら、彼を育てた人だから、という恩義を感じるかもしれないけど、何の世話にもなってない、ただ意地悪で煩いだけの老女を・・・なんて言ってはいけない?いや、時々、人道主義がなんぼのもんだ、と思うこともあるんですよ。