手押し車を押していた女性がへなへなと倒れそうになる…近くのお店の人が出てきて手助けする…僕の目の前だったので僕も自分自身が怪我をしないようにしっかり腰を入れてその痩せた女性を支えて、その手押し車についている椅子に落ち着かせる…で、その場を去ったのですが(後は集まってた人たちに任せて…)集まっていた中に昔近所だった知り合いの人を見てはっとする。あのいなせだった人が…見事に老人をやっている。
「賑わい拾い」人気:ひとけにあたりに街に出る。良いことだ。僕はなるべく図書館に行く。図書館で本を読む。家で本を読むより、はかがゆく:効率が良い。植物もそうらしい、隣に競いあって成長するものがあったほうがお互いに良いこともあるとか。
人前に自分を晒す事は義務と考えてみる。引っ込んでいてはいけないのだ。老醜も晒す。自然の営みだからだ。風景に合わないからといって排除するのは本末転倒。
近代的なビルの谷間を老人がとぼとぼ歩いて行く。それでいいと思う。老人施設に老人が固まっていては、風景が歪んでしまう。歪んでいる証拠に…街に座るための椅子が置いてない。
(小さい文字の説明書き。老人を排除するためのものだ。手が込んでいる)
LINE…でのやりとり、とても優れている。言葉の合間にいろいろな楽しいイラストが入る。言葉で飾るよりイラストで飾った方が気持ちが伝わることもある。それだって基本に言葉があるから可能なことだけど。その場で撮った写真もすぐアップできる。
LINEを見ていればやりとりに参加しなくても賑わいは拾える。それでいいと思う。少しだけ癒されている。
僕らは疲れていると思う(なんちゅういい加減な日本語、僕らとは誰だ?)。疲れを感じない位疲れている。老い先短い老人にはそれがよく見える。シックな装いをさっそうと着こなした若い人が目の前を通り過ぎる。結構長い人生そんな時もなければやってらんない、せいぜいおきばりやす😉
(スマホに巧みに混じってくる宣伝の中にこんな文句がありました…心理学によると…人間は1日に60,000回考え30,000回決断している、つまり1秒に一回。それが生き物だと思いました)
さらしながら生きていく。それでいいと思えばこんな気楽なものはない…あはは🤣)
(白髪混じりの耳の横の髪の毛がモアモアっと立って鬱陶しいのでポマード(死語)みたいなチューブに入った300円位の化粧品を買った。ほんのちょっとつけるだけで髪の毛がうまい具合に落ち着く、というか固まる、すごい便利…ちょっとだけ男前が上がった、気分が良い、歳をとっても身だしなみ)
身だしなみには女性の方が気をつけているのでしょうが、年とると女でもきれいに見せようなんて意図は消えて、見苦しくないようにという消極的オシャレになります。昔から、小ざっぱり、小ぎれいな老人にならねば、と思っていました。
でも、ときには意気込んでオシャレするのも大事ですね。写真はスイスの村の家畜ショーで見かけた元牛飼いの老人です。この地方の経済は牛飼い・羊飼い・山羊飼いに支えられているから、みんな誇り高くて、子供から老人までそれぞれの晴れ着が用意されています。