起きている間だけの出来事を人生と勘違いしちゃいそうですが…寝ている間に起きていること…これもまた人生だとつくづく思いました。
かなり面倒くさい夢を見たはずなのですが全て忘れている。記憶に留める余裕がない位の集中を要求する作業をしていたとわかる。その作業が必要だったことも類推できます。作業が何とか無事済んだので…覚えてない。覚える事は重要な作業ではなかった…強引にそう考えてみました。レム睡眠中の夢だから覚えているとかいないとかそういう問題ではない。
ハンス・カストルプ:トーマス・マンの魔の山の主人公は、現実(小説の中の現実)の中でその作業をしている。相対している相手の見えない背中の方をこちら側に向けるような作業を延々とやっている。夢を現実に据え変えるような作業。こんな本読んでいたら誰だって疲れるわ…。
ところで夢を見た僕は何の作業が終わったのか…全くつかめていません、ただ僕自身にとって必要な1部分の作業が終わったと予想がつくだけです。その証拠に疲れが少し抜けている。それが自分の中に潜む二律背反に対する妥協の成果だとは思いたくない。多分中ぶらりん状態で2つの布石をしたのだと思う、そういう…存命中に解決のつかないような問題かも知れない問題を途中経過のまま状況を対峙させバランス状況を置いた、引き続き見守り状況。多分この作業は子供でもやっている毎日の作業のような気がしてきました。どこまでもいま現在の状況を読み解く…生きるってそういうことかな。
何を言ってるかわからないこんな文章をたまに書かないと発狂しそうです、うそ…あはは。
あ、高橋義孝、あの頑固ジイサンですね。相撲審議会のメンバーで、ハワイ出身の力士が優勝し続けて横綱にという声が大きくなった時、「日本の神技に外国人の横綱はまかりならん」と主張し続け、他のメンバーを困惑させた人。翻訳よりそちらの活動で記憶に残っています。
でもこの方なら日本語が結構古いのではありませんか。ただ、私は高橋先生が手掛けた作品の元のドイツ語も古いはずなので、それを今風の日本語に訳すのはそぐわないという気がします。
そうだ、高橋義孝というドイツ語翻訳の重鎮の話で、思い出したこと。昨日亭主と出かけていて、アウトバーンを走っているときに物凄く気持ちの悪い車が横を通ったのです(写真参照)。「何、あれ!!」と私が叫ぶと「あれは『Erlkönig(魔王)』というんだよ」と教えてくれたのですが、それを私は、車を覆う不気味な模様から名付けられたと思っていました。帰宅して調べたら、これは自動車メーカーが道路でそのプロトタイプを走らせるとき、まだ市場には出ていないので、他者に真似られないようそのデザイン・構造を隠すためにこんな外観にしているのだそうです。
もちろんゲーテの「魔王」という詩に由来する名前ですね。
こんな夜遅く 風が吹きすさぶ中
父と子が馬をとばして駆けていく
・・・
そういえばこれ、ドイツ語学校の上級コースで習いました(昨日の夜まで忘れていたけど)。夜の闇の中で子供に見える魔王の姿が父には見えない。息子がどうして怖がっているのか分からない。家に着くと、魔王の姿を見た子は死んでいた、というお話です。そうか、この新車の原型を見たらお前は死ぬぞよ、って脅かしたいのですね。
すみませんね、何でも話題にしたがるお喋りびすこで。