2人いればクラブができる。お片づけクラブ、立石図書館友の会がそれです。技術家庭科クラブというのも考えている。気分は中学生です。中学生のクラブ活動。クラブ活動がない放課後?は図書館で本を読む。今読んでいるのは本当に昔からいつか読まなきゃなぁと思っていたトーマス・マンの「魔の山」。毎日100ページぐらい宿題のようにして読んでいたら…昨日あたりからふと、中学生の昔に帰れたような気がする。ケーニヒスベルク近くの国際サナトリウムに滞在しているかのような感情移入ならぬ、空間移動感?が、なんとも不思議だ。
所属感が、人の心の安定に良いにつけ悪いにつけ深く影響しているのかなと思いました、読書についても、クラブ活動においても…あはは🤣
追加のコメントです。先週末からドイツ東部に半分私的な旅行で出かけていて、旧東独出身の元社員にも助手として同行してもらい、そこでかつての旧東独の社会と現状についてあれこれ話す機会がありました。
帰宅してのち、少し前に印字したままになっていたゴルバチョフに関する記事を読むと、ちょうど今回のいちまるさんの話と重なるところがあったので、紹介します。ゴルバチョフが述べた、自由というものの二つの側面に関してです。(原文はロシア語でしょうが、そのドイツ語訳から訳したものです。)
<一つには経済・政治上の桎梏からの自由を意味する。新しい制度のもと、活発で自主的な役割を演じることで得られるポジティブな自由である。しかし同時にそれは、これまで得られていた安全と所属観という条件から自由になることを意味する。人生はもはや人間中心の閉じられた世界で営まれることはなく、世界は境界を持たぬと同時に脅威を与えるものとなる。>
これはゴルバチョフがソ連を崩壊させ自由主義に国家を売ったという批判に対して、ロシア人が当時まだ自由を享受する用意ができていなかったことを認めた所説の一部です。
翻って日本でも、何もそこまで自由にならなくてもいい、むしろ安全を保障してくれる枠組み(境界)が欲しい、という人々は多いでしょうね。