還暦から来年で15年… 15歳と言えば中学生…僕らの10年先輩の年代では中学卒業で働きだす人たちがたくさんいた。集団就職の人たちもそう。今大学へまるでアクセサリーをつけるように通う人がいると聞く。というか40年位前ペンキ屋(ま、ガン吹き外装だがペンキ屋の類)を始めた時、つまり僕らより20年後の世代のアルバイトとして集まった若い仲間たちの中にも親に金を出してもらうことを特権として大学へ行く、(=大学で遊ぶ、遊学)とはっきり言う連中もいた。今のように所得格差が広がる前の話。
あ、今日はそちらのほうの話ではなく(でも状況を利用するという点では共通点があったので前振りにしたのかもしれない)「年寄りを生きる」について少し語ります。
人生減速期(とまぁ言ってみる)を渡っていくコツは、自分自身を少し甘やかす、わざと緊張する、このさじ加減かなぁと昨日夕方、物干しに寝転び1万円で買った7インチテレビのニュース番組、ビール飲みながら見て、思いました(こんなことしたのもちろん生まれて初めて!)
もちろん僕の場合ということです。ジェットコースターから降りてすぐは地上に降り立っても、気持ちの焦りは収まらない。15年前に軟着陸したつもりでも、そうは問屋はおろさない。世の中のシステム改変が加速しているからです。
そんなことを考えたのは…昨日、紛失したと思ったキャッシュカードが、紛失届を出して再発行してもらう手続きをした後よくよく調べたら手元に残っていたというミスをしたおかげです。銀行での再発行の手続きは銀行の人の案内に従ってタブレット端末を使ってあっという間に済みましたので、もし本当に紛失したのであればアクションそのものは正しかったわけで…今日のコメントになりました…世の中のシステムに老体をなじませるためには弛緩してはいけない、でも緊張もしてはいられない、老体ゆえに…たったこれだけのコツを学ぶために15年かかる、というお粗末なお話でした、失礼しました、あはは🤣
そんな風に考えること、よくあります。結婚して21年、当時生まれた子供は今21歳の社会人または大学生。こっちは今でも辞書を引き引き本を読む。でも世間を知っている度合いには明らかな差があるから、引け目は感じませんよ。
土曜日に義理の姉が86歳の誕生日を迎えたので、義務でお祝いに行きました。軽い脳梗塞のあとで、かなり弱ってお手伝いさんと介護人の二人が付きっ切り。介護施設に行かずに済むようにと、毎月凄い金額を払って自宅で世話してもらっていますが、どこにいようと老人は老人で、医者として自信満々だった昔の面影はありません。
母の死去が86歳でしたので、何かにつけ当時を思い出しました。母と義姉、頭脳には差がありましたが、人柄の悪さ(傲慢・見栄張り・自己中)はよく似ていて、そのため彼女たちのことを本気で案じる人はありません。ホントに最後は学歴も職歴も何の意味もないと、私はちゃんと悟っていますが、でもその認識が後で役に立つかしら。