昨日久しぶりに手紙を書いた。ボールペンの字そのものがぎこちない、それほど縦書きの文字から遠ざかっていたと言うことだ。太い罫が引かれた便箋3枚。派遣センター通信の記事に対する感想文です。30年間途切れることなく我が家に届く派遣センター通信。重度障害者も共に生きる地域・社会を求めて、、と通信の表紙の下のほうに必ず書かれている。30年間変わることのないメッセージだ。重度障害者が親元を離れて自立する際のお手伝いをしている団体です。30年以上活動の歴史がある団体です。重度の知り合いの関係で30年前にその団体を知りました。
今回手紙を認めたのは…重度障害者が親元から自立する際の「障害」というか考え方の行き違いに関する記事に対する感想でした。長きにわたり現場に携わってきた方のその記事は語り口は静かでも問題をはぐらかすことなく丁寧に焦点を絞って自分の思うところを慎重に吐露していらっしゃいました。にわかに出口が見出せない問題だなぁと思うとともにその問題提起は地域に暮らす人の全員の問題にすべき「問題」だと思いました。合理化が得意な僕でもスルーできない問題、記事に対する意見は言えなくてもその意見の意味するところの大切さがわかったので手紙を書いたのでした。分かろうとわかるまいと意見を表明する事はとても大事なことのような気がしています。問い返されて、、実はよく分かりませんと言って恥をかいてもです。僕が心がけていることです
…通信を受信し続けて長い時間が経ちましたが…気持ちはつながっています。細い糸だけれど長くつながっていさえすれば減衰せずに伝わる、本当です、、ハハハ。
縦書きの文字を読むことはしょっちゅうですが(文庫本など)、自分で書くことは私の場合も稀になりました。年末年始のカードさえ横書き。さる学者さんがそのことを嘆いていて、自分のところに来た手紙への返事に「日本語は縦に書くようにできています云々」と説教した由。今の横書き流行(というか支配)にはそれなりの理由があるとは思いますが、これも複雑な話ですね。横文字・縦文字の二本立てで行く、ということはそう簡単ではありません。
それともう一つ。こちらにはまともなボールペンがないのです。近くの文房具屋で売っていた三菱ボールペンが一番マシだったのでそれを使っていましたが、店を畳んでしまった。昨今は自分で「書く」人は僅かだから、筆記道具は売れない。また、親切な友人が伊東屋で買った優れもののボールペンを送ってくれて重宝していたのですが、年末に芯が切れてしまい、日欧間での郵便物がコロナ+ウクライナ紛争で途絶えているため、縦書きからますます遠ざかっています。
世界情勢はこんな田舎の慎ましい暮らしにさえ影響を及ぼします。