やっと鼻水が止まった。まん万が一を考えて家に閉じこもっていたけど…やはり家に閉じこもっていいて正解。兄との会談も会議も全てキャンセル。食べて寝ることに集中した。回復にはこれしかない。原因は暖房もせずに摂氏5度のお勝手でいろいろな用足しをしていたこと、年齢並みの体力なのに、それを忘れて若ぶって年甲斐もなく恥ずかしい、反省。
ちょっとやる気も出てきて、図書館のリサイクルでもらってきた本がざっと100冊以上あるので…チェックに取り掛かってすぐにこれらが宝の山だと気がついた。10年前位に出版された本が多いので10年後の今、問題がどうなったかが考えやすい。ワーキングマザーバイブル、という2010年発行の講談社の本から、早速微助っ人クラブの仕事を見つけた。
①若い男性に、、自分で食事が作れて後片付けができて、洗濯をして干して、タンスにしまえるようにトレーニングするお手伝い: 145ページ
②知恵と情報と息抜きの提供: 190ページ
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①…多分、全世代を通じて男性に1番不足しているトレーニングだと思う。下着の管理から洋服の管理まできちんとシステムとして整理しておくことで一生役に立つと思いました、1人で暮らすにしてもパートナーと一緒に暮らすにしても。
②は、どんな情報が欲しいのかも整理がついていない位忙しい人に情報の交通整理をして提供する、スマホですぐに情報が取れる今こそ必要だと思います。その人に合った息抜きの方法さえヒントがなければ考えづらい今の状況の反省はそれから。
(与えられた条件の中で最適値を求める思考はコンピューターにやってもらう。僕らがコンピューターに合わせる時代はもういいです。条件を変えるのは僕ら一人ひとりの自覚だと思いました、その自覚が自分自身を含め危ういと思っています、世代間の分断がこんなにくっきりとした世の中は異常だと思っています。ここ10年、を取り上げただけでも、様変わりした世の中の状況に、がんばるお父さんやお母さんたちはモデルにならないと思っています、我慢や根性のツケは誰が払うんだろう)
手のひらくらいの蜘蛛か、なるほど、これうちにもたくさんいますよ。私は子どもの頃から慣れているけど、東京から親戚が来て泊まったときは、何事かと思うほど大きな悲鳴をあげていました。
そうか、それでクレマチスさんは女手のない一人暮らしが苦にならないんだ。器用貧乏なんて言葉がありますが、それは一家を養うほどの金銭は稼げないという意味で経済的な利点は少ないかもしれませんが、生活の自立に寄与するという最高の利点がありますね。
女は今や、男の持ってくる月給で養ってもらわずとも自分で稼ごうと努めているのだから、男も女の作る料理を食べさせてもらわなくても自分で用意できるようにならないとね。生活面で女に頼ってばかりいる男の晩年は大変ですよ。
阪神・淡路大震災の2年後に亡くなった父は、男子厨房に入らずという世代で、しかも傷痍軍人で隻眼、急須で茶を注ぐとテーブルがみずびたし、もともと家事は運動能力的に何もできない人で、ペンとそろばんより重いものは持たへん(経理畑のサラリーマン)、などとうそぶいていましたが、母も何かやってもらうとかえって仕事が増えるというふうで、簡単な作業でも自分でやっていましたが、お嬢さん育ちの母もどちらかというと不器用で、小学生くらいからは私にお鉢が回ってくるので、日曜大工的な作業はみな私がやらされることになりました。
ただ小学生頃の記憶でただひとつだけ覚えているのは、父は休みの日にはバケツとぞうきんをもって便所掃除をやっていました。ちょっと2, 3年、といわれて大阪の本社から転勤で高知に異動したのですが、(居心地がよかったのか、定年退職後の嘱託機関まで居続けることになりました)四国にわたって入った最初の社宅は古い日本家屋でしたが、台所は土間で、風呂も便所も母屋とは渡り廊下でつながった別棟というしろものでしたから、夏などは手のひらくらいの蜘蛛が壁に張り付いているという按配で神戸の都会育ちの母にはたえられなかったのでしょう。縦のものを横にするのもめんどくさいという父がせめて、ということでやっていたとおもいます。
馬子にも衣装…コメントで装いが整いますね…自分でもわけのわからないことベラベラ喋っても、整えてくださる人がいる、もっとも、びすこさんが、軽やかだから楽々とコメントくださるんでしょうね、そう思うと気が楽です、コメントで頷かれる方は多いんじゃないでしょうか、元の文じゃなくてコメントの具体例のほうに惹かれて。あ、さっきもケービーシーのLINEトークで盛り上がりましたが…とんちんかんは僕の役目です…評価している人は少ないです、自画自賛は得意技の1つですが、それでも合いの手は欲しい。それだけで僕は気分がいいです…衣装を着せていただく(ご本人にその気がなくても)にしても、せめて、ちゃんと立っていようと思いました、このコメントも多分誰にもウケない類ですけど黙ってるより何か喋ってるほうが楽😅
うん、そういうお父さんやお母さんはあの世から今のこの世を眺めて、「よかったよ、早いとこ死んでて」と言っていると思いますよ。
ほんの10年前の時勢・時事を振り返ると、今の世には当てはまらないことが既に増えている。まして、私たちの若い頃、学生運動が盛んだった60~70年の風潮など、あれは何だったのか、と思わされますね。いつの時代にも若い人はエネルギーを無駄なことに注ぐものだけど。
私が今でも昔の我が家を思い出してムカつくのは、男尊女卑もですけど、男女の仕事のみでなくその趣味・嗜好までもきっちり区別されていたこと。女がプロレスを見るのはけしからんとか、女が釣りに行ってはいけないとか(未だに理由不明)、まあ女がしちゃだめという事柄が多かったのですが、後遺症が一番ひどいのはやはり家事に関してです。
弟が小学生の時、宿題に「雑巾を縫ってくること」というのがあって、夕刻母に縫い方を教えてくれと言ったら、父親がそんなことは男のすることではない、縫う必要はない、とカンカンに怒った。そのときは母が縫って済ませたのですが、当時すでに家庭科の授業内容は男女共にほぼ同じになっており(私の時は違った、女は料理・裁縫、男は工作・工務みたいな内容)、男が基本的な家事をこなせるように、という意図は正しいと私は思いました。
結局、男女のすべきことは異なるという頑固親父の頑迷な躾で、弟は料理も掃除も洗濯も、あと片づけすらできない男に育ち(最近やっとゴミを捨てられるようになったと義妹が誰かに自慢してた)、その妻の妊娠中や入院中は大いに困って、母が手伝いに行くことになったけど、そうするとこれまた家事能力ゼロの父を一人にできないので、二人して息子のことろへ。笑える、ほんと大笑い。
私の方も独身時代が長かったので、家事はいいけど簡単な修理や電気系統のチェックなど、「男のすること」も習っておきたかった、とよく思いました。
自分の生まれ育った時代の価値観・生き方を変えられないというのは分からなくもない、でもそれを子や孫にも押し付けるというのは、どんだけ教養があっても「人格者」と言われても、一言でいうと「愚か」です。その愚かさのツケは2代、場合によっては3代に渡って支払われることになるんですけどね。