< ぎこちない > ぎこちないのは、未熟だからだ。失敗は許されない完成への第一歩はぎこちないのが当たり前。完成あるいは終了が垣間見えているときに後ろを振り返ってみて、初めて懐かしく思い出す、ぎこちない未熟。 初めての課題に全神経をターゲットに向ける、その時の緊張感までが、ぎこちない。良い緊張感とは…スタートに向けて、自分自身を盛り上げていく序奏だ。ところが、ぎこちなさに伴う緊張感は一寸先が闇なので踏み出す第一歩が地につかない不安定さだ。 恐る恐る新しい体験に接近していくときのドキドキ感がぎこちなさをいやが上にも増幅する。慎重にならざるを得ないから態度がぎこちない。未開地へ向かうスタートの狼煙(のろし)はとうに上がってるとくりゃなりふり構わぬ必勝の前のめり。 ぎこちない、は目的地が見つからないまま着地点を求めている。頼りないけど若々しい躍動感はひめている。可能性があるのかどうかわからないけど応援したい気持ちにはなってくる。子供たちのぎこちないはじめてのトライ、見ているだけでこっちまでドキドキする。かつて自分も抱いていた感情だからだ。だからシンクロ(同期、動悸)する。 全神経を集中させて、新世界を切り開いていく意思。それは遠い祖先から連綿と受け継いできた意思だ。年齢国籍性別関係ない。永劫を目指すスタートの号砲を待つ武者震いだ。ぎこちないと言われようと、へっぴり腰だろうと言われようと、おそるおそるだろうと、けなされようと人間のほんの小さな勇気の満を持した構えには違いない。 ※ ※ 以上、力んでいるから、勇ましそうな文だけど切るぞと言って一向にスタートが切られない妙な緊張感だけの中学生の空っぽの文章だ、と言っては中学生に失礼。ふざけて、わざと書いてみたけど…本当はこれがぼくの地(じ)だ。 読む側はサポートを要求される、行間を感じ取れと脅迫される。読まされる方はイライラするんだけど妙に気になるぎこちなさ。ぎこちない文(人)は応援をもぎ取るためのたくまざる弱者のツール、捨て身のツールなのかもしれないな。ちょっと間違えれば嫌味な文(人)になっちゃう。すいません助けてくださいって言ってるようなもんだから。乞食かぼくは。坊さんの托鉢と言ってもらいたい。 今まで僕を応援してくれた人たちは僕のぎこちないビヘイビア(ふるまい)に思わず手を差し伸べてくれた人たちなんだな、きっと。危なっかしい、見ていられないってね。こいつほっといたらどこへ行っちゃうんだろう…。 思い起こせば、今まで、ずいぶんたくさんの人に応援されてきたものだ。もう、応援する側に回るべきなんだろうけれど…ぎこちない生硬さはいい年をして相変わらずで、いい加減にすればいいのに、もっと応援を求めている。 これからもぼくにはぎこちない生き方、暮らし方しかできないし、たぶん一番合ってるのだろう。ぎこちないのはぼくの性分。だからかな、ぎこちない人が好き。 うーん、今回の話題は…妙に力んでぎこちない文章、ぎごちない結論のまま終わってしまいましたね、その意味では、題目に叶っているから、うまくいった、とも言える。
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器用貧乏は専門家にはなれない…と身近な人から遠回しに言われたことがありますけど…若いな…と思って黙ってました。昔世話になった社長に…器用貧乏な僕を表して…鳥取にはこんな格言があるよ… 7つ器用は食えない、8つ器用は食える、、、肝に銘じました。
ぎこちない、って不器用ということでもありますね。未熟のためもありますが。でもぎこちない所作って、周りからは好感を持たれることが多いのではないかしら。懸命に、真剣に、やっている印象を受けるから。
知り合いに何でもスイスイやってのける多才な人物がいて、さっぱり可愛げがなかった。ところが70歳過ぎて「結局、器用貧乏で終わった」と自嘲的に言っているのをきいて、途端に、あ、可愛い、と思ってしまった私は、厭な女です(断定)。