< 限りない > 限りない財宝は限りある命には無駄だ。一方、命のほうは無駄にはできない。1回こっきりの人生だから誰だって大切に生きていきたい。生きながらえる限り生きる、と言うのも人生だし適当なところで手を打つのも人生だ、まさか。 そんな投げやりな言い方は一日一日を今日が最後と生きている人に対して誠に失礼な言い方だ。今日は自分の一番新しい最後の日と思ったら間違ってもおろそかにはできないだろう(これが結構凡人のぼくにとっては難しい) 父の好きな話がある。石田三成の死に際のエピソードだ。父の脚色はこうだった。三成が処刑される段になって、末期の水を勧められる。三成は丁寧に断る。「生水は体にさわる」 巷間伝わっている話とは違う→ (※今Googleで調べたら…喉が渇いたので白湯を所望した、そしたらこれでも食っておけと柿を出されたとありました。戦に負けたとは言え、名だたる武将に対して礼を失したこんなとんまな話は外国はいざ知らず日本では考えられないと思います、白湯を所望して、生水を出された、、最低でも、ぼくはこちらをとりたいです。百歩譲って仮に…柿を出されたとしてもそんなもん食うわけがない…体の中身が暴かれた時、つまり、槍で串刺しにされたとき食った柿が腹から出てきたら、それこそ風景が整わないじゃないですか、三成はそんなこと直感したと思いますよ、俄か三成贔屓びいき) → かもしれないがぼくはこれが気にいっている。三成の死生観のすべてが語られている。処刑の槍が我が身を貫き通したのを見届け、視界が狭まってゆく、脳のフラッシュバックが起こり絶命するその瞬間の最後の最期の刹那まで全て自分の人生だ(Googleの解説を見ると…三成は最後まで戦いをあきらめなかった、みたいな解説になってました、とんちんかんはぼく以上、Googleはいつも参考程度にいたしましょう!所詮は二次情報三次情報の集積、大いにドライブがかけられ、加工された情報、と自分を戒めつつ、それでもうまく使えば大いに役立つ、馬鹿とハサミは使いよう、と心得ています、偉そう) 生水は体に良くないから飲まない、生きている間は僕の体だ。体は大事にする、それが僕のポリシーだ…三成。 それでこそ三成、そうあって欲しい庶民の切なる願い。 (今、この文字を音声入力しようとしたそのとき、このことに気がついた。なんでこんな簡単なことに今まで気がつかなかったんだろう? 今、父のことで、父に対し、生まれて初めて泣きました。 「一日って、一生だったんだなぁ、、、」と独りごちた父の言葉も…たぶん同じ意味だと、今わかったような気がしました。 今日と言う日をどう生きるつもりか、どう生きたかは「一生と同じ」じゃないか…今まで積み重ねてきた自分の全存在を以って今日を生きる。もしかしたらそういう独り言だったんじゃないだろうか、伝えるように、伝わるように、ぼくに聞かせるための独り言、男同士の気遣いに、やっといま、遅まきながら気がついて、泣きました。静かに自分に言い聞かせ、反芻し、そしてぼくにも聞いてもらいたかった、、、ありがとうお父さん、ずいぶん時間がかかりましたけど、想い、ただいま、しかと受け取りました。 こんな1日もある→ …this history of one day is the history of every day. と言う文章を今読んでいる本 The Peculiar lnstitutionの78ページに見つけた。ここに記されている「一日」は、、、奴隷の過酷な労働の一日…こんな日の積み重ねの一生がアメリカ南北戦争前の南部の奴隷たちの一生…砂糖作りのプランテーション(大規模農園)では1日16〜18時間労働、日曜日なし、7年間で使い捨て、死んでも経費に織り込み済み(減価償却7年!: 85ページ : “I’d rather be dead than be a nigger on one of these big plantations, “プランテーションの黒人でいるくらいなら死んだほうがマシ : ミシシッピに住む白人、談。バージニアの暑い季節の収穫期、プランテーションには酷暑と過酷な労働による多くの黒人たちの死があった、同ページ) なんたる冷酷、貪欲。 上記の…this history of〜の英文は同じページの脚注にあった本の中からの孫引き→ Gustavus A. Henry to his wife, November 27, 1860, Henry Papers. : 以上、自分用メモ 君とも今日でお別れだね、と散々自分に迷惑をかけてきた息子を前にかつては恰幅の良い紳士であった面影を残す老人が、病院の病室が同じだった僕の友人の隣のベッドで親不孝の限りを尽くした息子に最後の別れでこう告げたそうだ。老人はとても満足そうだったと言う。 同じ病室で老婦人が四文字卑語を病室全体に響くような大きな声で連発しながら、面会に来た息子に何度も何度もつばをひっかけている現場も見たそうだ。そんな話が彼にとっては楽しい部類の四方山話。 彼は普通の人の苦労の何倍もの苦労を一生のうちに負わされたような人だ。母が、病院に入院している時、彼が見舞いに来てくれた。「本当に感じのいい人だね」と母は彼が帰った後、ぼくに言った。 (苦労したからこそ、あんな柔和な顔ができるのかなぁ) 人の幸不幸なんて表からではほとんど何もわからない。ぼくなんか、ぼく自身をどこまでわかっているか疑わしい。 そう思って覚悟して丸ごと受け入れてみると、わからないところは追い詰めないままに…あー楽しかったと言って人生終われそうな気がする、気のせいかもしれないけれどそれでよし。残る人に限りない感謝を込めてグッドバイしよう。(ごめんなさい、かっこつけて) ここ1ヵ月間、冗漫な文章にお付き合い下さいましてありがとうございました。途中、飛び入りのびすこさん登場で、コメントがいただけるようになりギアをあげ、気分高揚をキープできました。 形容詞マニアにかこつけて、ちょっとした自分の過去の行動記録 :自分史にもなりました。あーおもしろかった。来年は「動詞マニア」(仮称)にかこつけて50歳から現在までの行動記録 : 自分史にトライしてみたいです。中身の充実はこれからの行動いかんにかかっている、と自分にプレッシャーをかけておく。 形容詞マニア、了。
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よくぞおっしゃってくださいました、後知恵を後追いする人たちがあまりに多いので若者たちが心乱されるのではないでしょうか、と言ったら若者たちに失礼でしょうか?名前がついたら安心してしまう人間の弱点をうまく利用されている気がします。人間の神秘を暴く勢いの昨今の分子生物学?にしてもとにかく細分化される一方の学問が何を目指してるのか教養のない僕にはさっぱり解りません。連中の脳みそがどうなってんのか、てなもんや三度笠の藤田まことのセリフ(ちょっと古すぎますけど)じゃないですけど脳天かち割って中身が見たいです。境地が見えてこないのです。わからないことだらけなのでまぁ飽きる事はありませんが。
まあ、本当にお別れなんですか。さよならだけが人生、じゃないですよね。さよならは別れの言葉じゃなくて…じきに再び会えますよね。
ところでThe peculiar Institutionに関連してですが。
新型コロナ感染症の出現以来、信頼できる情報源として世界中が頼っているジョンズ・ホプキンズ大学。先日、米国の有名大学を創設した富豪のことを話題にしましたが、確認のためジョンズ・ホプキンズについて調べると、南北戦争の時期に周囲のお歴々の反対をものともせずリンカーンを強力に支持・支援した人物だったと分かりました。
ついでに、ウィキのへんてこな間違いを見つけてしまいました。
<ホプキンズは、南北戦争以前・戦中・戦後のレコンストラクション期を通して、「世界が創造される前からの奴隷解放運動家」(英: "abolitionist before the word was even invented")と称されるほどの人物だった>
だあれ、wordをworldと勘違いしたの。世界が創造される前、ではなくて、(奴隷解放運動家という)言葉が創られる前から奴隷解放運動家だった、ってことでしょ。
人道主義者という言葉が生まれる以前から人道主義者だった人も、フェミニストという言葉が生まれる以前にフェミニストだった人も、不可知論者という言葉が世に出る前から不可知論者だった人も、たくさんいると思う。
あ、あ、ありがとうございます、落涙、 このプレッシャーは何よりも力になります❣️
アンコール! カーテンコール!
動詞マニアに期待します。アグレッシブな個人史が展開されるものとワクワクします。タイトルにその動詞を含めてくださることを希望します。見出しで次々登場する動詞を一覧したいです。