< 気が早い >
あわてんぼう、は気が早い、と思う。頭の回転悪いくせに気が早いのはこの僕です。気が変わらないうちに行動を起こさないと、行動を起こす前に、すぐ、合理化して、行動しなくても良い理由を思いついて、飽きてしまう。だから飽きる前に行動を起こしておく。責任がちょっと生じる。その負担感で次の行動に結びつける。ふ〜、厄介な性格だなと思います。
(文章を書く時もそうです。とりあえず何か書く。とりあえず思い浮かぶままにダラダラと書く。手を止めず書きながら考える。大げさに言うと…疾走する想念?のしっぽをつかむために…そんな方法しか知らない)
気の早いあわてんぼうと言えば、母を思い出す。旅行に行った先で温泉に何度も入りなおして楽しんでいるお仲間の気がしれないと、母は言う。のんびりするために旅行に行っているのに…。そのくせ、、、雪を見ながら温泉につかりたい…なんてことも、のたまう。
そんな呑気なことも言いつつ、母の実際の有り様は…自分の体がドアの向こうに行く前にドアを閉めにかかって、ドアに体をぶつける!?
どういう状態なのかわからない人は自分でやってみてください、どんなに慌てん坊かそれでわかります。気が早い人は慌てん坊、と決めつけて…ここに着地しました。
(とやかく言っても、、、気が早かろうが遅かろうが自分の人生だ。自分と折り合いをつけて何とかみんな生きている。それはそれですごいことだなと思う)
蛇足
(ここまでぐらいの短い文章にしておけばいいんだな。そうすれば僕の印象も良くなる。印象をよくしてどうする、いまさら?
昨日がこのシリーズの山場だったから、(え?!)2月10日に向かって踏ん張って形容詞を取り上げていけば小冊子にはなる。今年は年末までにもう1冊作るつもりなので…弾みがつく。何のために「書き溜める」のかと言うと…僕にもよくわからない。
あえて言えば、、、わかったつもりになってすぐ合理化してしまう僕が許せないからだ。どんな駄文でも原稿用紙が積み重なっていくイメージは、何か新しいものを生んでいる感じ、それがたとえ勘違いだとしても、景色の違う所へ自分を置いてみることができる、それが楽しいからだ、多分。景色が変わればまた別のわからないものに囲まれる。つまり…ゴミのようなものでも書き溜めることによって…状況が変わる。わからないものに囲まれている状況を忘れたくないから書く、とも言える。わかっていると思っている自分から遠ざかり、また、わからないものに囲まれたいため…そうすることが自分に飽きてしまわない一番良い方法だと思うからだ。つまり、この世が奇跡であることを思い出すために何か書くのかな。僕にとって生きるとはそういうことだ、きっと。目の当たりにしている毎日の奇跡の中で…いつしかそれが当たり前になって…立ちすくんでいる自分を救うための行為かもしれない。人類史始まって以来僕らは立ち止まったことなんかないんだ(決まった) 。
このぐらいのちょっと長いパラグラフで「だ」を数回使うと一生懸命自分を納得させようとしている姿がおのずと浮かび上がってくるのだな。
形容詞は確かに感情に直結しているかもしれないが…言葉をリズムにのせてハーモニーを響かせ、感情に共鳴させるためには頭韻、脚韻も大切だな、ま、また長くなるといけない、ていうか、あの、その、既に長くなってしまっているので今日はこれで。(ね、ダラダラ書けばこうしてとんでもないところに着地する?!)
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形容詞マニア いちまる 2月1日
形容詞マニア いちまる 2月1日
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FFP2 はマスクの規格です。ヨーロッパ EN規格で微粒子ろ過率94%以上。規格にこだわるより正しい使い方に注意すべきです。鼻出しや顎つけなどは無神経、不織布の使い捨てがベストだと思います。安倍のマスクのような小さくて布製など私は使いません。洗って再使用など何のためにマスクしているか忘れているのでは。ファッション性からか若い人に多いウレタン性は×です。
http://so-en.net/mask-kikaku.html
最近世界最速スパコン富岳による実験で明らかになりました。
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