< 目新しい > 兄は昔から目新しいものに目がない。新聞ラジオテレビの宣伝で目新しいものを見つけるとすぐ買ってしまう。特にそれが食べ物だと目の敵にしていたようなところがある。戦後焼け跡派の食べ物に対する執着、習性みたいなものかもしれない。今考えるとそのおかげでちょっとした情報が入るので家族全員、助かっていたようなところもありましたね。 インスタントラーメンのことを思い出した。おばあちゃんがまだ生きていた頃だから僕はまだ小学生。日清のチキンラーメンだったような気がする。お湯をかけたらラーメンになった。店で食べるラーメンと違っていたけど、お店のラーメンが頭に浮かばないほど目新しさに集中していた。味わうと言うよりは実験している感覚だった。おいしいけどスープの濃い味付けと実験した現場が思い浮かぶ(映像記憶…いったい全体、人の頭の中にはどのぐらいの映像記憶が記録されているんだろう?そもそもそれは記録なのかなぁ) 夕方にはまだ間がある午後、狭い庭の縁側でおばあちゃんは孫の実験に立ち会った。(ここで、おばあちゃんに思いを馳せる) ちょっと大げさに言うと…おばあちゃんは明治の文明開花初期に立ち会い、日本の敗戦に立ち会い、高度成長期のインスタントラーメンの孫の実験に立ち会ったことになった。六人姉妹とニ人の弟の最年長の姉として目まぐるしい時代の変遷を見てきた長い一生だったろうなぁと思う。そうか、僕の感想こそ…「目新しい発見」だ(メ、ニアタラシイ、、、意味にズレがあるけどまぁいいや、我田引水な着地😅)。
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びすこさんのおじいさまおばあさまの記憶…貴重ですね。ぼくにとってはおばあちゃんの小言すら懐かしいです。おじいちゃんは僕のことを…子供らしくないガキと見抜いていました。なんでも承知してやがる、、、と聞こえよがしに言われたことも覚えています。
僕はスーパーで大体決まりきったものしか買わないのですが時々パチっとスイッチが入ってしまってチキンラーメンに手を出します。しばらく言葉を交わしていない友人にでも会ったつもりになってしまうせいだと思います😌
おばあちゃんの時代とは地続きだから、令和生まれの人から見れば、我々もすでに、文明開化期の人物や大杉栄や山下奉文と大差ない歴史上の人物かもしれませんね。
日清のチキンラーメンは今も私の台所の常備品です。卵を乗せるくぼみをつけた以外はスープを麺にしみ込ませた簡便さも、袋のパッケージもほぼ開発時のスタイルを保っていて、インスタント食品界のシーラカンスのような存在です。いや絶滅危惧種でなく生活の一部となっている現役だから、驚異の商品です。
おばあちゃんの思い出、よ~く分かります。自分の病気とコロナのおかげでドイツに戻れなかった13か月間、私も似たような経験をしました。おじいちゃんはこの部屋でキセルの掃除をする紙縒りを作ってた。おばあちゃんは毎夏ここに朝顔を植えた。私は父母・祖父母・さらに曽祖父の生年を西暦で覚えていますが、これって歴史、特に近代史を身近にしてくれます。例えば祖父の生まれた1885年は上杉栄や山下奉文が生まれた年、D.H.ロレンスも。曽祖父の生年1859年にはチエホフや嘉納治五郎が生まれてる。わあ、みんな、ついこの前まで世にあった人々なんだ。おばあちゃんのコンテンポラリーの一人はアドルフ・ヒットラーで、これにはちょっと眉をひそめているだろうな。