(※ 今日はちょっと「自前ネット」に関する回りくどい文章なのでめんどくさい方はパスしてください) < 豆まめしい >… は僕にとっては褒め言葉だ。 ちょこまかとコマネズミのように動く働き者を僕はイメージします。 町々の時計となれや小商人、友人の営業マンが耳にタコができるほど上司から言われた言葉だそうだ。判で押したように日参してお得意さんを開拓せよと言う意味だったのではないかと思います。 豆まめしい…は手数の多さも含むと思います。ちょっと嫌な言い方ですが…相手の油断につけ込むためには非力なものが持つ有効な手段だと思います。厳しいビジネスの世界では…今ももちろん有効で確かな方法だと思いますが、昨今、この方法を大資本が多用しているとなると問題です。 ネットはかつて言われたように貧者のツールかもしれませんが金にものを言わせて網の目の細かいネットを大々的に広げて、根こそぎ、お客をさらっていかれたのでは貧者の立つ瀬がありません。 個人個人が自分専用のネットを作る。これは今の世の中、必要だと思います。大風呂敷ならぬ大きなネットを広げるわけではないので取り組みやすいと思います。自分好みの小さなネットを広げるとき、同調圧力によって「個人」が目立つことを極力抑える社会においては、自分自身がその同調圧力に加担している主体であることを自覚するとともに、それぞれのグループが、今作っているものが小さな圧力団体なのだと意識することは必要かなと思います。つまり個人プレーの次のステージをイメージしておくことが今の行動を支えてくれる。分に応じたコントロールしやすいネット作り。それをどう作るかは次のステージでみんなで相談すれば良い。 どうせ傑出した指導者なしのどんぐりの背比べなら、いっそ、 自前のネットは「粒ぞろい」だとプラス評価する。粒ぞろいなので意見の調整は簡単だと考えてみたらどうかな。その上で、大枠でまとまることに意味があることを共通認識として持つ。イワシが大集合して大きな魚に対する消極的対決を挑むように…これは立派な圧力団体だと思います(圧力団体の積極的評価)。その上で個人個人がまめまめしい行動をすれば意外と大きな成果が得られるかもしれませんね。成果はみんなで共有すれば良い。 ところで、話がすっとびますが… システマティックな行動において一枚もニ枚もうわてな官僚たちは、多分、冷ややかに…どうせ一般庶民にまともなことができるわけがないと思っている。それが彼らの150年かけて従順な国民を作ってきた成果であるし、それが自負。 でもね… どっこい僕らはそうでもないんだよね。図体の大きい君らにないもの…自由な発想と身軽な身のこなしから生まれるまめまめしい行動力。これは強力で必須の対抗ツールだと考えます。 官僚たちの思い込みに刺激を与えることが新しい時代を迎えるために必要なことだと僕は思います。日本全体にとって良いことなのは間違いないと思います(今強引な着地に向かっています) ネットの有効性は最大限利用するとして…人と人とのネットワークを手軽に、身近に、個人個人の努力によってDIY(手作り)する。個人を前面に出すことがそもそも品がない、目立ちたがり屋と、直接言わないまでも心に思うだけでもう同調圧力に加担してしまう、と自覚する。そんなふうにして弱い者同士、足の引っ張り合いをしていたのでは敵の思うツボ(敵って誰?) 目に見えない分断化が行われて、ある意味いいように、クラス分けで階層化され、世代間は分割され、統制されやすくなっている僕ら(そうでなければ民間をコントロールしきれない官僚組織のありようの必然性をまず押さえておいて)は、とりあえず、機動力を確保するために、まめまめしく、自分自身を表現して発信していく…これは僕は意外と有効だと思います。表現していくことで自分自身がどういう人であるか言わず語らず相手に伝わる安心感、それがさらに信頼感を築きあげていくかもと思えるやりがい。そこからスタートしてそれぞれが自前のネットを作っていく。日本式に言えば…気がついたら「できていた」状態にもっていく。 今まで僕は自分自身のせっかちさが災いしてあーでもないこーでもないと行動したものの伝わらないもどかしさを相手のせいにしていた気がします。まず自分自身をざっくばらんに語ってみる。一寸先が闇の世の中を手探りで渡っていく。 官製ネットでは拾い切れない不具合や不都合を様々な個人や団体がろくな資金援助も得られない中、頑張ってらっしゃる。僕らがささやかに行動し始めるだけで彼らも当然視界に入ってくる。当事者感覚を持って見つめられるようになる。まめまめしい行動は分断された個人がまとまっていく接着剤だと思います。KBCのこのフォーラムは僕にとって…発言の向こうは頑丈な壁…ではなくて壁に開いた小さな穴です。なんのこっちゃ。毎度キレの悪い無駄に長い文章でごめんなさい。ふ〜、お茶にします🍵 (やっと予定の半分までこぎつけた。あと2週間がんばるぞ ! まとまったら「形容詞マニア」として小冊子にするつもりです。これも僕にとっては立派な「自分史」の一部です。しょうもない駄文集でもコロナ禍の座敷牢攻めに一矢むくいた成果です。では引き続き応援よろしくお願いします)。
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こ、今晩、ん?あ、こんにちは、、、お、お久しぶりです…と、取り乱してます、コメントありがとうございます!空気いれていただきましたので…「さりげない」と言う形容詞取り上げてみます、おきの向いたときにコメント下さいませ…さりげない挨拶はちょっと私には無理です😅
「金にものを言わせて網の目の細かいネットを大々的に広げて、根こそぎ、お客をさらっていかれたのでは貧者の立つ瀬がありません。」本当にその通りですね。誰にも〈立つ瀬〉を残してあげないと、この世は闇になってしまいます。
「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。…これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。」と旧約聖書にもあります。2500年(大ざっぱ)の昔から洋の東西で常識だったのでしょう。現代人の無知が情けないですね。