< たどたどしい > 小さい子が、お母さんに何か一生懸命、報告しているたどたどしい様子はとても微笑ましい。一方、日本のビジネスマンがたどたどしい話し方でも果敢に外国語で折衝している様子はとても頼もしい。 たどたどしい…と言う形容詞は上のほんの一例からいっても使い方によって微妙に意味が変化する言葉だと、、、あ、そうでもないか、文脈によるのかな?(この件は保留にします) ところで、「たどたどしい」日本語を話す外国の方に対して持つ印象は…皆さんはどちらですか? ① 意味は分かるんだけどなんか違うんだよなぁ、イライラするなぁ ② 日本語使いたい意欲満々にチャレンジしてくるなぁ、、、見習いたい 僕は自分が70年以上日本語を使ってきたものですから、つい… ① のほうの厳しい見方をしてしまいがちです。そんな時はもし時間があり、相手が迷惑そうにしない限り…言葉を尽くしてたくさん話してあげることがサービスだと思いました(逆の立場だったらそうしてほしいからです)。 こちらがなけなしの英語で話すとき、相手はそのたどたどしさに辟易している可能性もあるわけですが、①や②のところをおさえ、そこんところをもっとこじ開けなければ楽しくない。②のように感じる奇特な人も中にはいるはずですから、機会をとらえてチャレンジした方が得なような気がします。 30年以上前、今考えると赤面の至りですが苦労して強引な手で知り合ったイギリス人と短い間でしたが、あるスモールビジネス(未完)を通じて付き合ったおかげでその人の気質、例えば、慎重で質実な国民性、わかった気になっていました。お金が絡んだので、お互い真剣になれたせいもあると思いますが(笑)。 たどたどしい言葉の壁は…壊すことができなければ、よじ登ってでも乗り越える価値がある、と僕の少ない経験からでもそう思います。言葉の障害があるにもかかわらず外国の知人が一人いるだけで、その知人の国が単なる「よその国」ではなくなるような気がしませんか? 僕には叶わなかった希望ですが若い方は、希望に終わらせることなくぜひ機会を作って活発なコミニュケーションを達成してほしいです。
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いまだにたどたどしいドイツ語を話している身として、ここでコメントするのはどうもバツが悪いのですが。以前にドイツ人で英国に渡って研究した人の評伝を読んでいたとき、いくら英語が流暢に見えてもやっぱり外国人の英語になるから不利だったとありました。英国人は特に20世紀半ばごろまでは英語に誇りをもっていて、尊大で、たどたどしい英語には寛大でなかったようです。
それに比べると、アメリカはどうせ移民の寄り合い世帯で、特にユダヤ系の人たちなどは優秀だけどウクライナ訛り、ドイツ訛り、東欧訛りが強かった。でも彼らの英語にケチをつけていては事が進まない。だから外国人の英語(米語)に寛容で、そのことがアメリカという国の発展に寄与したとも言われます。日本もテニオハに拘らず、美しい日本語は桃源郷の文学者に任せておいて、意思疎通の手段としての日本語にもっと鷹揚になってもいいかもしれませんね。