「恐ろしい」の恐の字は心が工や凡の責め具でぎゅーと押さえつけられているようですね。ついでに恐怖の怖の字は、りっしんべん(心)に布、心が布で覆われれば…こりゃ怖いわ、怖いから布(ベール)を剥がそうとする、剥がしてみたら…余計怖かったりして、あはは(適当なこと言ってます)
小学校に上がる前までの「恐ろしい」ものといえば、逢魔が時(夕方)の…現実感が薄れていく夕暮れの空間でした。それまで一緒に遊んでいた仲間たちの声がだんだん小さくなってその姿もつかみどころのない頼りないものになってバイバイしていくとき、見送る僕は、しまいにはもっと現実感が薄らいでゆき、足元がおぼつかないような寂しい気持ちのまま取り残されました。その後、何年も続く毎日の経験の積み重ねからやっと「現実」が安定していったような気がします。脳が作り出した幻想のような感覚は時間の経過とともに薄れていきました。それを思うと、次々に上書きされる圧倒的な日常の蓄積が、つかみどころのない「恐ろしい」現実を確かな現実にしてくれたのは、我が脳なのかもしれません。最近読んだ生態学に関する本の受け売りから知ったかぶりすれば、僕が本当に感謝すべき相手は、ぼくの脳に現実認識の視座(視点)を持たせ、その視座から現実(脳の中の僕だけの現実、ちょっとしつこいですが…他の人は、またその人なりの現実…視座が違うので当たり前と言えば当たり前)を作ってくれた「地球環境を含むシステム全体」とでもいうことになりましょうか(?何言ってんだか?)この話題ここまで。
ところで、最近ぼくの一番「恐ろしい」ものと言えば、人、です。いろいろなことをしでかしている人が怖い。ぼく自身も知らない間に加担しているのではないかと思うと、、、末恐ろしい。
今書いてる小説に、霊感の強い巫女さんみたいな女性が出てくるのですが…その人にちょっとだけ乗り移ってコメント聞いてみましょう(怖い!)
(ハイ、憑依(ひょうい)しました)---以下この巫女さんが恐山のイタコさん風に話していると思ってください…
・・・お前たち…コンピューターとやらが、限りなく人の意識に肉薄していったときの恐怖を考えてみたことがあるか? つまりな、コンピューターが人の脳の働きにどんどん限りなく近づき、恐怖感までも理解するようになったその時…人間も次のステージを迎える「その時」のことを言っているのだ。お前たち人間は次のステージを迎える準備はできているのか? 人間を理解するのに遺伝子レベルで人間を分析し尽くしてシナプスのつながりの全図から、人間を読みとこうとしか発想できないお前たち。それでもがむしゃらに、知らないことがまるで罪にでもなるかのごとく貪欲な探究心でたどりついた先の次のステージに何を望むというのか。
いつものようにその時が来たらその時考えれば良いと考えているとするなら、20世紀の多くの過ちの上にさらに過ちを重ねることになるぞ。
まぁ百歩譲って…仮にいつか人間が進歩して、次のステージを視界に捉えたとき、、、そのステージで本当にしたい事は何だ。もっともその時までにリスク管理に疎いお前たち人間がひとりでも奇跡的に生存していればの話だが…そもそも…恐ろしいものがなくなったお前たち人間の方がわしは恐ろしい、、、
えーと、あんた、本当は誰?
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最終更新: 2021年1月15日
形容詞マニア いちまる 1月14日
形容詞マニア いちまる 1月14日
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夜道は怖いと母も言っていました、子供の頃狐🦊に化かされて同じ場所ぐるぐる回らされた、とか。せいぜい京成高砂近辺の原っぱだったと思いますが、夕暮れの薄闇に出てくるのは、日本ではやはり狐が似合いますね、ヨーロッパでは妖精が出そうな森や草原が多いんだろうなぁと勝手に想像しています。こういう発言は…うつつを抜かすな、と叱られそうですね、お母様に、、、。