「美しい」と言う言葉は美しい、と言ったのは小学校の図工の山戸屋先生でした。ぼくは歳をとったせいか、世の中は美しいもので溢れかえっているように見えてきました。いかにも人工的な美しさも遠くから見る限り美しいものが多い。近づくと仕組みと、材料の頑固さが見えてちょっとがっかりすることもある。 身の回りの自然は近づけば近づくほど虫眼鏡で見れば見るほど…精妙で厳粛な気持ちになります。美しい…と安易に言葉に出すことが憚られるほど…美しい。環境と折り合いをつけている。そこまで言わなくてもたとえば人間、たとえば顔…(男の顔は履歴書、女の顔は請求書…と言った評論家がいましたっけ)皺の一つ一つは歩いてきた行跡だ。目尻に意思がある。くたびれた僕の顔を見ても、どっこい生きてる意志は失われていない、当たり前だ、生きているんだもん。いっそ美しいと言ってしまいたい。そうなんだよ、誰の顔も、他のパーツも美しい。例えば尻、あ、これはまた明日。明日のテーマは「面白い」。正月の銭湯の朝風呂の朝日まばゆい環境の中で見た男どもの尻について(大丈夫なのかこのブログ?)
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あはは、あ、笑ってすいません、だって何かおかしいんだもん、、昔一緒に旅行した友達が…参加した女性の美人度?で順位つけてやんの、ダメだこりゃと思いました。君の審美眼はそこまで…。まぁちょっと大げさに言うと…僕なんか生きてるものはみんな美しく見えます、本当です。また絵を描きだすかもしんないなぁ…ありがとうございます。
中世の騎士物語にですね、魔法をかけられて一日の半分は美しいけどあと半分は醜く暮らさねばならないお姫様が出て来るの。題は忘れましたけど。それでどっかの騎士と結婚して、彼が昼間はどうでもいいけど、夜自分といるときは美しくあってほしいというの。お姫様が、それはいやだ、昼間美しい女でいたい、あなたといる夜はブスで構わない、と答える。騎士が、よし分かった、それでいい、と鷹揚に応えたら、魔法が解けて、ずっと美しくいられるようになるの。何だかよく分からないストーリーですよね。でも私だったらどうかなあ、と時々考えます。亭主は「いいよ、どっちもブスで」といい加減な返事するでしょうけどね。実際ブスのままだし。