4月5日(土)
僕は浅く広い付き合いは多少あるかもしれませんが個人的なその方の背景については、ほとんど興味がありません。住んでいらっしゃるところも聞いた事はないし、年齢も出身地も相手が言わない限り、僕の方からお聞きすることはないです。興味がない。
お付き合いの中でなんとなく知ったりわかってくることが無理がなくて、自然なような気がしています。その人から言わず語らず伝わってくるもので充分。
その上で、余計なことを他に伝えないことを
お互いが了解していれば他言無用は、言わずもがな。
実はこれ他の人に無用な混乱を避けるための基本的なルールですよね。余計な波風を立てないためのこういう成文化しにくいルールこそ守らなければいけない基本的なルールだと僕は思います。
行き違い、勘違いによるわだかまりは言葉で伝えれば伝わる。情報の伝え方の難しさも、風通しの良さを維持するためのポイントもそこにある。
こんなことを共通認識にすれば年齢差もあまり気になりません。ぼくは年甲斐もなく、若かぶって行動するので、若い人や友人から意見を食らうことも度々あります。歳を考えなさいと…。父も若い人から意見されているのを見たことがあります。この点は父親譲りです。
僕は神経質なように見えていて楽天的。周りで少しずつ慣れていただくしかない。まず行動ありき。相手の都合を考えず思い立ったら即行動。良いこともあるし、叱られることもある。叱られれば凹む。褒められればいい気になりすぎる。馬鹿は死ななきゃ治らない。
今日は押上で手話の会があるので、生まれて初めてちょっとだけトライする気になった。最近は何でも努めて首を突っ込むようにしている。聞くは、1時の恥。即行動しないのは時間がもったいない。下手な考え、休むに似たりということを自覚しているからです。
こんな偉そうなことを言っているくせに…相手の都合を考えず、強引に押しすぎて昨日もお叱りを受けた。申し訳ない、そして叱ってくれることがありがたい。叱ってもらえるうちが花。実は叱る人の方が叱られる人より体力、気力がいる。
そんなふうにして、人様にご迷惑をおかけして大いに反省もするのですが、…ほとぼりがさめれば、お呼びがかからなくても、またでしゃばる。下町の世話焼きオヤジ。
閑話休題
ところで、、微助っ人クラブのメンバー募集を飽きもせずに続けていられるのはなぜか。
とりあえず集まってみなければ、何も熟成しないと思っているからです。集まってから目的を考える…集まった状態で熟成変化を待つ。すべからくスピードを要求されている時代に、ウイスキーを熟成させるのとわけが違うだろう、、と言われれば、、確かに😅
でも集まっただけで面白い事は予想できる。99人にお聞きしたい事はいっぱいある。でも今は言わない、100人揃ったら言う。皆さんも自分以外の99人に聞きたいことを考えておいてくださいませ。
念のために申し上げておきますが、僕の微助っ人クラブに対する勝手な思いは、僕1人分の思いです。他の99人の皆さんはそれぞれ自由な発想で、ご自分自身の微助っ人クラブのイメージを作って下さいませ。そのイメージに賛同者が得られれば微助っ人クラブはそのイメージで変化してゆく。僕1人が反対したってどうなるわけでもなし。多分僕もその方向でついていくと思います。その方向が進んだこともない方向であればなおさらのことです。進んでみなければ結果はわからないからです。
くどいようですが… 1人で悩むよりみんなで悩む方が面白い。たくさんの違う見方ができる。再三申し上げているように、単なる仲良しクラブを避ける工夫をしたのはそのためです。なるべく違う分野に従事している方、世代も環境も違う方にお声掛けをしてきたつもり。
薄い浅い細い3拍子揃った気楽な付き合いだから自由にものが言える。
上下関係もなければ金も絡まないので後腐れも少ない。気に入らなければやめればいい。今までやめていった方の理由の第一位は、、いまは、それどころではない、付き合っている暇がない。
そのたびに僕は心の中で声をかける、、状況が変わったらまた参加してください!
まぁできればご自分が辞める時は代わりの人を入れ替わりに入会させていただきますと全員にとって多分ありがたい。新しい風が入ってくるから(僕が若い人たちと一緒に仕事をしていた時はそんな不文律がありました、辞める時は、自分の知り合いを紹介してからやめる)。
こんなある意味ちゃらんぽらんな会、他にあったらぜひ教えてください。その人たちともきっと仲間になれます。
微助っ人クラブ、世界中に流行らせたい、、言うだけはただ、、あはは。
昨日皆さんにお知恵を拝借とグループLINEでコメントしたことに関して…、
以下、おまけ⬇️
※ひきこもり支援者像について
時折「ひきこもりの支援者は誰か、誰がふさわしいのか」という質問を受けることがあるが、筆者は、「社会福祉士、精神保健福祉士、精神保健福祉相談員(国家資格の有無にかかわらず)、臨床心理士、医師(精神科、心療内科)、保健師、看護師、教師、民間ボランティア、NPO職員、ハローワーク職員、学生ボランティアなど多様な人々が想定される」と答えている。ひきこもり支援は、多領域の専門家のチームアプローチ(支援者の提携、関係機関の提携とネットワーク形成など)が基本である。
中略
、、、ひきこもりの支援者には、特定の考えにとらわれず、当事者の状態によって支援を工夫する柔軟さと視野の広さ、気の長さ、希望を失わない楽天性(楽天性は協働できる支援者仲間があれば、自ずから育ってくるとも言えよう)が必要であろうと思う。(ひきこもり支援論…人とつながり、社会につなぐ道筋をつくる/竹中哲夫著/明石書店2010年7月初版第1刷発行138 〜139ページより引用)
以下、蛇足⬇️
※ぜんまいで動き出すカブトムシ、お尻をフリフリ、ハイハイする赤ちゃん、どちらもぜんまいが切れるまで前進あるのみ。
人がしゃべればそのままオウム返ししてくるテープレコーダーが仕込んであるくまさんや
電池で動くロボット…赤ん坊から大人までこんな他愛ないおもちゃで癒されるのはなぜだろう?
動物行動学で言われる「刷り込み」という現象がありますね。ウィキによると
「刷り込み(すりこみ、imprinting)とは、動物の生活史のある時期に、特定の物事がごく短時間で覚え込まれ、それが長時間持続する学習現象の一種。刻印づけ、あるいそのままインプリンティングとも呼ばれる。」
だそうです。
なんでこんな言葉を今持ち出すかといえば、私自身も大いにこの〈刷り込み〉の影響を受けていると思うからで、まさか生まれて目を開けたときにそこにいたのが鼠だったから鼠を親と思って慕い続ける、なんてことはありませんが、ある時期に(これが重要)特定の事物が短期間で覚え込まれ…というのは人間にも当てはまると思います。
自分の場合は、とにかく周りの人々の振る舞いとか世間の在り方、昔からの慣習など幼年期の6,7年間に目にした事柄に大きく影響されている、あるいは縛られ続けている、という感じがしているからです。
とにかく貧しかった、そして理不尽に厳しかった、子供の意思なんてそもそもあるとは思われていなかった。時代は戦争直後、世の中の誰もが社会・経済・政治、さらに倫理道徳の変化について行けなくて、今思うとその支離滅裂に子供も付き合わされていたという気がします。
そのため、私は今なお、「登校拒否」とか「ひきこもり」というのが全くと言っていいほど理解できないのです。学校はすべての子供が行くもの。それは息をするのと同じ現象だと思っていた。自分の部屋に終日籠るなんてあり得ない、第一自分の部屋なんかなかったし。
心理学者がどんな科学的な解釈・理論づけをしているにせよ、心情的に自分の理解を越えている。こんな私のような者を無知蒙昧の徒と呼ぶのであれば、人類は無知蒙昧の徒の屍を踏み越えて進んで来たということになります。これ、多分当っていると思いますよ。(ということは、今をときめく知識人・教養人も100年後にはやっぱり無知蒙昧と嘲笑されることになるでしょう。)
こんな議論をここでしても仕方ない?ですよね。でも刷り込みの話はとても面白いので、よかったらコンラート・ローレンツの「ソロモンの指輪」という著書を読んで下さい。世界の名著の一つだから、葛飾区の図書館にもあるはずです。
この日本語のタイトルは、かのソロモンが魔法の指輪を嵌めると動物の言葉が何でも理解できるようになった、という伝説からで、ドイツ語の原題はEr redete mit dem Vieh, den Vögeln und den Fischen(長いですね)。訳すと「彼、家畜と鳥と魚と話す」という意味です。
十数年前にローレンツの業績について日本の友人から聞いてこの本のことを知り、生物学の教師だった義兄に借りて読みました。ホント、すご~く面白いです。
それにしても、私にとって今の若者たちと話すのは、牛馬や犬猫と話すより難しいかもしれない。大体こちらの馬や猫はこの私にはいつも好意的ですしね。馬に腕を軽く噛まれたことが何度かありますが、それは「気に入った」という意思表示なんですって。どんなもんだ!!