3月15日(土)
便利な世の中で足りないものは、ちょっとしたアイデアの提供、思いつきの提案。
遊び方まで教えてもらわなくていいのに、教わらなければ遊べない情けない僕ら(そう思っているのは僕だけかな)。
昼近く兄の施設へ訪問。
春が来たから外出。
兄の車椅子を押して食事。 パカ😛スカ
兄の爪切りをしながら雑談。
兄の小型冷蔵庫の製氷室の掃除。
自動霜取り装置が付いていなければ、
そうしなければならないことすら気が
つかない。まるで、手間がかからない装置
や人間が最上であるかのような誤解を正解とする、、バカ、バカ、(自分に言い聞かせてます)
(1センチ厚くらいにこびりついた氷を金物でトントン叩いて落とす。こんなことすら思いつかなければ、めんどくさいと思うのだろう)
僕ら自身、自分自身を運用していくのに手間がかかるから、、それが面白いと思えるから、、人生も面白いと思うのに、僕らがスマホに組み込まれたパーツのようになる事はない。電車の中で電車の外を見る人はいない、子供たちですら見ない。子供って電車に乗ったら、外を見るものでしょ。電車に乗ってもスマホの世界。
帰るとき、兄のところから木曜雑談会で振る舞う古いブランデー2本をもらってくる。
堀切菖蒲園で途中下車して、最近たまに顔を出すことにしている喫茶店に浮かれ気分のまま入ってマスターと雑談。
卒業式、門出、進学、就職、結婚、日本中がおめでたい。たまには人並みに浮かれるのもいいものだ。どこへ行っても桜を目にする春が気分を盛り上げてくれる。
ついでに、、お金の使い途に困ってる人はいませんか?人の使い途に困ってる人はいませんか、なんて、気楽に話しかけたいものだ。
人間は環境に合わせるのがうまい。適応力はもちろん動物の中では最高。人生に飽きている暇はない。人生はそれほど長くない。本当にそれを知っているのは年寄り、、だからもっと意見を言うべきだ。
例えば上手なお金の使い方、
例えば一人一人が持っている経験をスマホに聞くのではなく、知り合った仲間から聞き出す意味について、
共有された情報を、その後それぞれがどう消化したか、
そして、その結果をフォローアップする意味について、、
そんなことこそが、僕らに残された最後の寄る辺だと思う。
自分自身のセンスを信じるとともに、一人ひとりのセンスの違いを楽しむことが親和力を産む、、僕はそう思うけどな。
団塊の世代の遺言はなんだ。それが聞きたい。とりあえず僕が早めに遺言を残さなければならん。
他の世代の不満も聞きたい。これから生まれてくる人たちのために、僕らは次の時代を予想して、描いて見せなければ、真面目に生きてきたことだけを通行手形にはできない、後ろがつかえている、ただの邪魔者。
何か胸騒ぎする春でもある。10年先が見えない。
落ち込むか、浮かれるか、、気晴らしに浮かれてジタバタする方を取ろう😅
今日は、自由の庭でギター教室、四つ木御殿で、スープ研究会、来週はそば打ちの会で合鴨を食すとか、同じ日に、ゆず御殿つまり僕が今住んでいるところで操体法教室、、そして明日は…耳の聞こえの悪い僕に通訳もいないままゆず御殿で気ままな散歩会の顔合わせ会がある…どうなることやら。
僕がやっている事は「この指止まれ」役だけ。この指とまれ役の人が増えれば、知り合いはどんどん増える。こんな簡単なこともお伝えしなければならないことの1つだと思う。
ふつう人間が一生のうちに仲良くなれるのは1000人もいないだろう。仲良くして仲間を増やしてどうなるかなんて…集まってみなきゃわからない…世代間格差や分断に対抗するためにまずは集まって知り合いましょうよ、、まぁこれも早めの遺言ではある。
