2月4日(火)
午後から操体法の講師をお願いしている幼なじみの Qさんと打ち合わせ。月2回1年間のコースなので全体的な流れを確認する。
ご本人は長らく鍼灸院をやってきただけあって…話のツボを心得ている。話し方も、持って回った言い方は一切しない人なので、参加者は実技を通して、よく理解できると思いました。
僕自身、僕の耳元で大きな声で話してくれる彼の話がとてもよく理解できたので参加者にも喜ばれること請け合い。
とはいうものの…こんなこと2人とも初めての経験なのでちょっとドキドキです。
回想法の指導者と話を進めていたPさんからも連絡があり会場となる僕の家の2階を見たいという連絡が入ったので、、どうぞどうぞと返事をした。こちらのほうは会場として使ってもらうだけなので僕が準備することは何もない。
立石、奥戸、東四つ木、四つ木、、この10年間振り返ってやってきたことを見れば「家を開く」ことをテーマのようにしてやってきた、、当たり前のようにやってきたそのことが不思議。
めぐりめぐって、そのことに僕がいま、慰められている。
最初家を開くことについて反対していた母が、結果として、家にではいりする人たちに慰められていた状況はそのまま今の僕にも当てはまる。
10年前には今の状況とてもじゃないが想像すらできなかった…その巡り合わせがただただ不思議としか言いようがない。
人は1人では生きられない。
家を開く、というのはとても勇気ある決断だと思います。現実にはいろんな条件が必要としても。(葛飾の皆さんが公共精神に富んでいることが、その勇気ある決断のための最強の基盤となっているのでしょう。)
今朝目が覚めて、早すぎたので寝床の中で考えたのですが、ひと昔前は男女観にしても職業観・社会観や暮らし方にしても、柔軟性がまったくない固定観念が幅を利かせ、敗戦も貧困も容易にそれらを変えることはできなかった。それを「土台がしっかりしていた」といえば聞こえはいいけれど、要するに1960年頃までの人間は四方を壁で囲まれた窮屈な部屋に住んで、しかもそこを出ることはできないと思い込み、閉鎖された場所で何とか凌ごうとしていた。
そうなると安定や安全はあったでしょうが、外に出たい人間には井戸や蛸壺に入れられたようなもの。私も確実に閉じ込められていた人間の一人で、それが女、(長く)独身、子無しとなれば救いようがない-ひと昔前までは。
でもかつては虐めや嘲笑の対象だった事態が今は全く不利になっていない。150年も前に開国した成果が今になって自分にも恩恵となり、少々遅すぎるけれど、それでも有難い。ここで、開国ならぬ「開家」「開屋」を実行するのが団塊世代にとっての最後の課題かもしれません。