11月16日(木)
思い描いていたシーンが暗礁に乗り上げてしまいました(ちょっと大袈裟)。こういうこともありますね。華奢な頭はすぐ煮詰まってしまいます。利口ぶって自分でいろいろ対話を組み立てていくのですがテーマが大きすぎて、すぐに小さく回収されてしまいます。
考えられるたくさんの疑問点をどんどん上げていく、その疑問に答えるようにして討論を始めて、その過程で、いろいろな立場をとりながら実験的な対話が成り立つのかと思っていましたがこれがなかなか難しいです。それもそのはずです、教室のたかだか20数名の学生の顔に表情が無いのですから。
あっ、今ダラダラ書いていく中でちょっとしたヒントをつかみました。僕のちゃちな小説の中にすでに表情のある人物像がちらほら見えますので、、今までの登場人物に架空の討論会をしてもらえば何とかなるかなと思いました。こんな簡単なことなんで早く思いつかなかったんでしょうか。
創世記から始まる聖書は千数百年にわたる壮大な歴史だときいた。
そんな、今後千数百年は楽に生きのびるであろう本を書くでわけではあるまいし、たかだか75年生きた三文文士が始めた連載小説、行き詰まりを感じられただけで大成功。もともと語るべき中身が圧倒的に不足していただけの話。
登場人物の一人一人とゆっくり会話して今後の展開について話し合います。というわけで少しお休みをいただきますが…また再開の折にはよろしくお願いいたします。
ま、そういうこともありますね。別の締め切りがあるわけじゃなし、少し気分を変えて。ある女性作家は台所仕事をしているとアイデアが浮かぶなんて言っていました。何か手間のかかる料理に挑戦してみるのもいいのでは。その成果に預かれないのが残念ですが。
ええっと、キリスト教の歴史は西暦が示すように2023年と言うことになっていますけど、ローマに伝わってからしばらく禁止されていて390年頃にやっと国教として認められたので、教会史としては1600年ちょっとですね。でも肩身の狭い思いをしてきた反動からか、そのあとはずいぶん横柄になって威張り散らしてやりたい放題。世界中に宣教師なんか派遣しちゃって。宣教師って一種のセールスマンでしょう。そのセールスマンが中南米でやらかしたことなんて、もう言語道断、ペテン師・詐欺師より性質が悪い。
旧約聖書の時代はずっと古くて、モーセがエジプトで虐げられていたヘブライ人(ユダヤ人)を率いてシナイ半島を横断してイスラエルに戻ってきたのは紀元前1600年から1300年とされていますから、3千数百年前になりますね。
せっかく故郷に戻ったのに、そのうち新バビロニアのネブカドネザルとかいう王様が彼らを捕まえて大量に強制移動させたのが紀元前600年頃、それが世にいう「バビロンの捕囚」です。
それを題材にしてヴェルデイというイタリアの作曲家が作った「ナブッコ」というオペラの中の「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」という歌、私も好きなんですが(これは準イタリア国歌になっていて、サッカーの試合でもイタリアチームが歌います)、このナブッコというのがネブカドネザルのことなんですってさ。
長くなりすぎるから今日はこの辺で。