(昭和30年代頃の私の思い出)
開会式の成立成立した整列した各国選手の入場行進も晴れ晴れしく、平和日本とこれからの経済の成長を多くの国民が感じましたが、閉会式はもっと感動的でした。競技を終えた選手たちがスクラムを組んで国境もなく入り乱れての行進となりました。選手たちは皆笑顔で夜空の中にカラフルな民族衣装も映えて悲惨な戦争からの立ち上がりを感じました。令和の今ではすぐに世界中がネット回線でつながりますが、私が小学生の頃には、映画でもないのに世界の人々を身近に見る機会はありません。このオリンピックの1年前にはアメリカのジョン・ F・ケネディ大統領の暗殺事件があり、その葬儀の様子は衛星中継されました。広大な太平洋を越えての衛星中継!それは初めて見るものでした。
その翌年の1964年、小学生の見た東京オリンピックの閉会式はこれまた大変な衝撃でした。人種の違う人々が手をつなぎ、肩を抱き合い、肩車をされる人までいるその光景は明るい未来の約束に思えました。父親の葬儀の悲しみの日にもかかわらず、どうしようもなく感動している自分がいたのです。
(チャコちゃん日記は今回をもって終了させていただきます。著者アンドー・ベティさんへの感想もぜひ当欄にお寄せください、お願いいたします)
これでおしまいにするの、もったいないですよ。その後の人生についても知りたい。
舞台は東北から東京葛飾区まで。地理的には私とは縁がなかった世界で、さらにべティさんは私よりだいぶお若いようですが、60年代の出来事、オリンピック、安保闘争、ベトナム戦争、ケネディ暗殺と、同じ空気を吸って大人になったことを実感しました。時代の空気って不思議ですね。特に今はメディアの拡大・進歩で都会でも田舎でも同じ空気が嗅げるようになっていますが、その動きはべティさんの子供時代に始まったようで10代・20代のべティさんが時代の波にどのように乗って来たのか、興味があります。乞う続編
喫茶店でベティさんから原稿をお預かりして、その場で読み始めると、まるで時代を圧縮したような文章の中から鮮明な絵が何枚も浮かんできました。しばらくしてからベティさんに葛飾文芸クラブのホームページへの掲載を強くお勧めしました。 結果今回のこの10回シリーズになったわけです。 はじめての試みでたくさんのヒントをいただきました。1つだけあげておきますと、エピソードの力です。読んだ方がまるで連想ゲームのように自分の身に引き寄せてその時代の自分を見つける。その時代を経験していない若い人にも新鮮な視点を提供する。社会的距離を取らざるを得ないこのコロナ禍でも、そんな空想のつながりを僕はすごく貴重なものだと思いました。ベティーさん掲載を快諾してくださってありがとうございました、改めて御礼を申し上げます。