昨日お客でもある古い友人から相談に乗ってほしい旨電話があり出向いていった。案の定来し方行く末についての相談。いくつかの提案をしたところ安心できたとの返事をもらったので僕こそ安心した。基本的に相談には乗らないことにしているのだが相談に乗りたい人もいる。帰りしな近くの40年近い歴史のある墨田区の野草園に寄ってぶらぶら散策した。
ゴミ屋敷主風となり春の夢
陽が陰る春風寒し空静か
ツイードは夏にコタツだ初夏の春
初夏かよと勘違いする春陽気
くちばしの青い小鴨の昼餉かな
濁り川小鴨群して昼餉かな
恋仲の番の蝶の春契り
濁り川素潜り海鵜春昼餉
昼寝せよ春満喫の快晴日
ツリー塔春陽のもとの昼寝かな
川境海鵜往来水ぬるむ
立ち止まる人なき道の可憐花
春陽浴び園児健やかその体温
春ですよクリーン&ウォーク日
忘れな草小ささゆえに忘れない
君の名は忘れな草かと青に問う
黄ハマギク水遣り人の帽子も黄
花染めて蜜吸う時はクマンバチ
さくらそう小さな春の芽吹きかな
クレマチス枝たおやかに若葉かな
ヒヨドリが新芽啄む野草園
レンギョウの花開く間の春陽かな
人通り少なき道に咲くパンジー
廃屋の松緑増す春陽かな
ひよ鳥や椿蜜吸い花弁落つ
うなだれてスマホ見る人春はどこ
道端の馬頭観音春陽浴び
牛丼屋人にオーダー春先端
相貌を塗り替える街いまが春
咲き匂う椿とバラの通勤路
「ツイードは夏にコタツだ初夏の春」
これ、ちょっと状況が分からない。乞説明。あ、そうか。初夏のような日和の日にツイードを着ていると「夏に炬燵」みたいだってこと?
濁り川の句がいくつか。今日、昔の江戸を偲んで仲間と散策したけれど川は濁っていて臭かった、というエッセイを読んだところでした。書いたのは遠藤周作。仲間は三浦朱門と安岡章太郎(偶然にもこの二人は高知出身です)。江戸情緒と言えば、友人からメールがあって、昨秋亡くなった仲間の墓参りに行った先が市川の回向院別院とありました。回向院って、江戸っ子ではなく東京の地理に疎い私が知っているのは、宮部みゆきの深川茂七親分の話から。彼は回向院本院の裏手に住んでいたという設定で、その辺りの地図も付されていました。
「うなだれてスマホ見る人春はどこ」
スマホに恨みはないけれど、無粋ですよね。東京の町はうなだれた人であふれているのでしょうね。ちょっと哀しい風景。春なのに~。
へええ、ヒヨドリがいるのですか。
・鵯(ひよどり)が喰ふ花咲けり荒れし庭
って言うの、作ったことがある。花食い鳥ってヒヨドリのことかしら。
勿忘草が咲いている?やっぱり日本の春の方がずっと早い。我が家の屋上にもたくさん咲きますが、種を撒いた覚えがないのでどこかから風で運ばれてきたらしい。
・空を塗るペンキこぼれて忘れな草
これは昔俳句に興味を持ち始めた頃の駄句です。
忘れな草と言えば、ヴィルヘルム・アーレントという人の詩の訳が上田敏の海潮音にありますね。
「流れの岸の一本(ひともと)は、 御空の色の水浅葱、 波、ことごとく、口づけし はた、ことごとく、忘れゆく」
ドイツ人ってロマンチックだったのね。上田敏も。そんな小さな花に目を留めるいちまるさんも。