そう思って先日から読んだ「窓を開けますか?」と「花狩」。
「窓を開けますか?」はハイミスの物語で、読みなれた田辺聖子調の恋愛物語でしたが、「花狩」は
それまでの田辺聖子の小説とははっきり違う時代物(といっても大正~昭和)に大阪で運命に翻弄され
ながら生きた女性の物語で、若い時好きな人と一緒になれないのならと心中したけどしそこなってそこまで思い詰めてるのならと結婚させてもらい、メリヤス工場を経営するが、羽振りの良かったのはわずか2~3年であとは水害や大火に会い、何もかも失い夫は40代で肺病に倒れ、娘も子供の時病気で失い、
頼りの息子も戦死と、運命に次々に家族をもぎ取られて、何のために生きてきたのかもう一切を投げ出したいほどの思いをします。
この時代を生きた人はみなこれと似たようなひどい人生を送ったことでしょうね。良いことはほんのちょっとであとは辛い事ばかり。
私の母くらいの年代かな?
ふと、昔読んだ宮尾登美子の悲惨な体験小説を思い出すような内容でした。
宮尾登美子も、始めは嫌いでしたが、(陽揮楼の映画を見て)自伝的小説を読んで好きになりました。
というか、情景や思いを正確に描き切るという所に引き付けられました。
追体験した気持ちになれ、うるっとしました。
「花狩」、気になったのでちょっと調べてみました。田辺聖子が自分の作品を振り返っているエッセイがあるので。
それで分かったのですが、「感傷旅行」で芥川賞を得て本格的に作家としてデビューする前、おそらく昭和30年頃
『私は夜間、大阪文学学校に通い、足立卷一先生の小説クラスに入り…卒業制作に「花狩」という百二十枚の記録文学風の作品を提出した』
とありますので、いわば習作みたいなものだったのではないでしょうか。
昼間は家族のために家事を引き受け、夜は学校に通う生活だったみたいです。昭和30年、1955年頃と言えば、私たち小学校の低学年、確かに日本全体が貧しかったですね。