3月1日(金)
キーボードで大人のバイエルみたいな本の下巻の練習曲でやっています。もう笑っちゃうぐらいできないんですけどそれが面白い。
昨日路地を出た通りの向こうに…ご自由にお持ち下さいと書かれた半透明の袋に包まれたお客用の座布団が出ていた。懐かしい。たっぷり膨らんでいて落語の高座用にも使えそうだ。
昨日もちょっと針仕事をしたので小さい座布団4枚はまもなくできる。一足違いとはこのこと。あの座布団を解いてまた小さな座布団を作るか?作って配るか?
やめとこ、めんどくさい…と思ってほっておいたのですが…いや待てよ…今度訪問客があったときにあれを客にすすめてみたときの反応が見てみたい、、
プールから帰ってくるとまだ置いてある。家に戻って食事を済ませ…まだ誰も持っていってなければもらってこようと決心しました。
シャッターが開いていたので、覗くと、座布団を出したご本人がお友達と会談していたのでお声掛けして、事情を話し、いただいてきました、二枚。
今度訪問客があったら2階の小さな縁側でこれをすすめてみよう、、誰か来ないかな?
(蕎麦打ち講座…のメンバーの募集広告を区役所の広報課に頼んできた。
スープ研究会のメンバーの1人がそば打ちの達人なのです。その方が同好者に広めたいとのご希望、2ヶ月後あたりに区報に出る、これも楽しみ。
まだ縦に並べて3メートル位あるリサイクル本の山を崩していくのは楽しい。
ざっと目を通して楽しんだ後はしばらく置いておく。しばらくしてもう一度手にした時、紙のリサイクルに回すか手元に取っておくかを決定する。
本に接する事は人間に接するのと全く同じ。意外な出会いが面白い。外見では全くわからない。付き合っているうちにそのうちわかってくる。
路地の奥に引っ込んでいても、軽く読み出した小説が、今の僕の気持ちにぴったりの出会いだったり、実例に沿った会社経営や事業再生に関する本の中の現実の魅力ある人物との出会いがスリリングです、生々しい現場の声が聞こえてきます。それがドキドキする。
僕も長いこと社会の底辺?をはいずり回っていただけではなく、中小企業の経営者の方たちとの付き合いもかなりあったことを思い出し、本の中の、あの人物この人物と重なり合うことがあるからだと思います。それが僕の財産なんだと最近わかりました)
(あちらこちらで早咲きの桜が咲いてます、これからあと一寝入りするかどうするか…寝るか、、)
若い頃(高校生時代)によく世界文学全集とか岩波の文庫本を読み、父親が「大人になると小説というのは滅多に読まなくなるから、いまのうちに沢山読んでおくといい」と言っていて、なぜみんな読まなくなるのかな、小説なんてバカバカしいと思うのかな、と思ったものでしたが、私も社会人になってからは小説はあまり読まなくなりました。
それが仕事を辞めてからは、古い本をもらったり書店で目に止めたりでまた折々読むようになりましたが、さすがに自分に50年余りの社会経験があると、感想も反応も違ってきます。20代ではこのオッサンの言うことに共感を持つのは無理だったろう、とか、若い女だった自分にはこの女主人公の愚かさは実感できなかったろう、とか。