マユミ・スザキ
(東京医科歯科大学神経精神医学教室 都立松沢病院精神科医
高橋和巳著:人は変われる:三五館)
この本の帯に、「人は絶望することが出来た時、新しい解釈が生まれ始める」という言葉を見た時
ちょっとこの本を読んでみようかなと興味がわきました。
毎日の生活の中で、特に近い関係であるほど嫌な事は繰り返され、ストレスの素になります。
自分が変われば相手も変わるという事も日常生活の中で体験しています。でも、もっと迷惑な事もあって、、、
それは自分の対応によってもどうにもならないという、客観的な困った境遇とでもいうものです。
この先生が精神科医として、患者さんを見ている中で、ある日、「先生、もうどうにもならないのであきらめるしかありません」と言って絶句。ところが、そのあとその患者さんは夜も良く寝られ、明るくなってゆき、はためにもそれがよく分かったそうです。深刻な事態は何も変わってないというのに。。
これは、その人自身の人生に対する新しい解釈が生まれたからで、そこに行くまでには自分の責任において解決しようと、死ぬほどの努力をしてみたけれど無駄であったことに気が付き、その悩み事にたいして新しい解釈をすると、そのことにこだわりなく自分の人生を前向きに歩んで行けるという事なのだと思います。
これはもう、突き放すという事だから、一見冷たいのかもしれないけど、だれの力をもってもその事実を変えることが出来ないなら仕方のない事なのでしょうね。
また、それが例えば自分自身がアル中で家族も家もなくして一人ぽっちになり死ぬほどの努力をして断酒を試みたけど、いつも誘惑に負けてボロボロになるまで繰り返し、自己嫌悪だったのが、ある日反省をしなくなってこの自分はなるべくしてこうなった、それならそれでいいじゃないかと決められた運命のように解釈をしたとたん、事実は好転したと言うこともあると。
自分の事にも当てはめられるのですね。人生を後半に大きく過ぎ、残された時間を意識する時私たちは問題に対して別の解釈もしていく必要がありそうです。
絶望のあとで新しい解釈、で思い出したエピソード。さる作家が紹介していたのですが、ある女性が人生に絶望して死にたいと思い、その前に一応「命の電話」みたいなところに電話相談をしてみることにした。その女性は電話に出た中年らしきカウンセラー(これも女性)に、自分がどんなつらい人生を送っているかを訴えた。すると向こうの相手は「はいはい、それで」と応じて、相談した方を面食らわせた。それでも縷々訴えていると、「ああそうですか、はい、それで」と事務的な対応。これがずっと続いて、訴えた方はすっかりしらけ、電話を切ったときには死ぬ気などまったくなくなっていたそうです。変なエンパシーなんかより、よっぽど効果があったのですね。
もう10年余りも昔ですが、友人が教えてくれた山田太一の「頑張れば叶えられる、というのは傲慢」という発言がありました。成功物語ばかり蔓延っているけど、それはもっぱら成功者にインタビューするからで、失敗した人にはインタビューなんかしないじゃないですか、って、これその通りですよね。成功しない人の方がずっとずっと多いんですけどね。
成功・不成功とはちょっと違う話ですが、スイスには高級リゾートがたくさんあります。最近は減りましたがロシアの成金がそこの超高級ホテルにたくさん泊まります。もちろん古くからのお金持ちも来ます。小金持ちや中流用のホテルもかなりあるのですが、そっちは単価が低いのであまり儲からない。それでどのホテルも中流層を顧客ターゲットにするのを止めて、どんどん高級化していった。ところがそうなると、成金も本物の金持ちも全然つまらなくなってしまった。
だって周りは全部大金持ちばかりで、「ああ、いいな、あんな風になりたいな、夢だけどな」と羨んでくれる人や指をくわえて見てくれる人は誰もいない。つまり、観客がだ~れもいない舞台でのお芝居になってしまったのです。結果そのリゾート地は短期間ですっかり衰退してしまった。
これ、新聞で報道されていた本当の話。ああ、こういう金持ちの一人でなくて本当によかったと、ほとんどの庶民は思うでしょう。人に抜きん出て注目されようとすることのむなしさ、あほらしさがよく分かる実話ですね。